2026年4月26日 復活節第四主日
- 明裕 橘内
- 1 時間前
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聖書交読 ローマ12章1~8節(新約p291)
司)12:1 こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。
会)12:2 あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。
司)12:3 わたしに与えられた恵みによって、あなたがた一人一人に言います。自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。
会)12:4 というのは、わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、
司)12:5 わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。
会)12:6 わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、
司)12:7 奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。また、教える人は教えに、
全)12:8 勧める人は勧めに精を出しなさい。施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい。
聖書朗読 ヤコブ1章19~27節(新約p422)
1:19 わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。
1:20 人の怒りは神の義を実現しないからです。
1:21 だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。
1:22 御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。
1:23 御言葉を聞くだけで行わない者がいれば、その人は生まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。
1:24 鏡に映った自分の姿を眺めても、立ち去ると、それがどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。
1:25 しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。このような人は、その行いによって幸せになります。
1:26 自分は信心深い者だと思っても、舌を制することができず、自分の心を欺くならば、そのような人の信心は無意味です。
1:27 みなしごや、やもめが困っているときに世話をし、世の汚れに染まらないように自分を守ること、これこそ父である神の御前に清く汚れのない信心です。
※本日は、御影・園田とも馬渕仁主事の説教です。馬渕主事の説教の要約を掲載します。
説教 「みことばを行なう人」
私たちは、ルターがヤコブの手紙を低くみたことからも、例えば、パウロの書簡とヤコブの手紙を比べて、ヤコブの手紙にはあまりよい評価を与えないことがあります。しかし私たちは、聖書の御言葉を、その書かれた背景などから丁寧に読むことの大切さに導かれなくてはなりません。聖書の御言葉の書かれた背景のことをコンテクスト(日本語では文脈)と言います。私たちは、聖書の御言葉の引用をすることがよくありますが、そうした時、そのコンテクストを無視し、御言葉だけを取り出して語るときに、大きな危険があることに気をつけなければならないのです。まさに今日のヤコブの手紙の記述は、その典型的な例になるかもしれません。
パウロが説いたこと、すなわち罪人が神様の恵みのみによって、信仰が与えられること、そしてその信仰こそが人が義と認められる唯一の条件だと説いた、いわゆる信仰義認の真理は、ヤコブの手紙でのテーマではないのです。ヤコブは、既に信仰をもっているクリスチャンに牧会的な配慮から、この手紙を書いていることを覚えることが大切です。ヤコブの手紙が、「人間が神の恵みの領域へ移される際の、救いの最初の段階について」は語っていないことを、私たちは理解する必要があります。ですから、実はルターも、このように言っているのです。若き日にルターは、ヤコブの手紙を藁の書と低くみましたが、後には、「生きた信仰は、行わずにはおられない」と言って、パウロ書簡との調和を認めているのです。私たちは、そこにパウロの書簡もヤコブの手紙もわれわれの信仰を理解するという意味で、それぞれに重要な役割をしている、という聖書の素晴らしさに、改めて気づき、感謝することに至るのです。
報告
・本日は礼拝後に三浦綾子読書会があります。




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