2026年3月1日 四旬節第二主日 創立70周年記念礼拝
- 明裕 橘内
- 8 時間前
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聖書交読 ローマ4章1~5節(新約p278)
司)4:1 では、肉によるわたしたちの先祖アブラハムは何を得たと言うべきでしょうか。
会)4:2 もし、彼が行いによって義とされたのであれば、誇ってもよいが、神の前ではそれはできません。
司)4:3 聖書には何と書いてありますか。「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」とあります。
会)4:4 ところで、働く者に対する報酬は恵みではなく、当然支払われるべきものと見なされています。
全)4:5 しかし、不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。
聖書朗読 詩編100編(旧約p937)
100:1 【賛歌。感謝のために。】全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。
100:2 喜び祝い、主に仕え/喜び歌って御前に進み出よ。
100:3 知れ、主こそ神であると。主はわたしたちを造られた。わたしたちは主のもの、その民/主に養われる羊の群れ。
100:4 感謝の歌をうたって主の門に進み/賛美の歌をうたって主の庭に入れ。感謝をささげ、御名をたたえよ。
100:5 主は恵み深く、慈しみはとこしえに/主の真実は代々に及ぶ。
説教 「喜びをもって主に仕えよ」
説教に先立ち、皆さんを祝福する短いお祈りをいたします。最後はご一緒にアーメンとご唱和ください。
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、
恵みと平安があなたがたにありますように。アーメン
本日このように、教会創立70周年記念礼拝の時を迎えております。今までの神様の導きに心から感謝します。
まず、私たちの団体、フェローシップ・ディコンリ―の歴史を振り返りたいと思います。
1899年にドイツで4人のシスターから始まり、1951/1952年に日本での活動が始まった私たちの働き。1951年の終わりにシスター・クニグンデとシスター・バベッテが来日、そして1952年から正式に、東鳴尾の地で働きが始まったこのフェローシップ・ディコンリーの働き。日本での働きは、1952年を起点とすれば、今年で74年となるのです。主の導きに感謝します。
その初期から、この御影ルーテル教会の働きは始まっていました。
1956年2月25日創立 現在の母の家ベテルの地で石屋川ルーテル教会として献堂式
1973年12月9日 現会堂の献堂式
1989年 園田礼拝開始
1999年 御影ルーテル教会に改名
2015年 エレベーター建設
(主な邦人教職)太田多聞師から粂井実師、海老原道雄師を経て、2016年10月橘内明裕師、2017年4月橘内玲子師着任
今ご紹介したのは、長い教会の歴史の中のごく一部であって、実際は、皆さんご存じのように、ここでは取り上げきれないほどの、たくさんの出来事がありました。その辺りのことは、記念文集でも取り上げられることでしょう。
次は11月23日の70周年記念式典です。フェローシップ・ディコンリ―の内外の教会から、たくさんの方々が、お祝いにお越しになることでしょう。改めて、共に創立70周年をお祝いしたいと思っております。
さて、2002年10月14日、フェローシップ・ディコンリ―宣教50周年記念式典が兵庫県民会館で開催されました。その際に出されました記念誌のタイトルが、「喜びをもって主に仕えよ」でした。まさに「交わりと奉仕」を旨とするフェローシップ・ディコンリ―の精神を表しているとして、昨年11月3日に母の家ベテルで開催されたフェローシップ・ディコンリー交流会2025において、まさにこのタイトルで短く奨励をさせていただきました。今回この御影ルーテル教会創立70周年記念礼拝においても、同じフェローシップ・ディコンリ―の精神に基づいて始められた働きであるとして、今日もやはり、「喜びをもって主に仕えよ」というテーマでしばしお話しさせていただきたいと思います。
本日開いておりますのは、詩編100編の御言葉です。「賛歌。感謝のために」という表題が付けられております。この詩編の2節に、新改訳ですと、「喜びをもって主に仕えよ」という文言が見られます。そこで本日、この御言葉を選びました。
1節は、詩編によく見られます、賛美への呼びかけです。「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ」。この喜びの叫びこそ、賛美の歌声です。別の訳では、「喜びの声をあげよ」とされています。
「全地よ」という呼びかけは、もちろん「全地に住むすべての者よ」という意味です。しかし、それにとどまらないかもしれません。山も海も、岩も木々も、こぞって主を賛美せよ、という、たいへん規模の大きな賛美への呼びかけでもある、と解釈できないでしょうか。主なる神様を賛美するのは、声を出すことの出来る人間たちばかりではありません。大自然も、その雄大さ、美しさを通して、神様を賛美しているのです。
続く2節が、先ほども申し上げました通り、本日のタイトルである「喜びをもって主に仕えよ」という御言葉を含んでいます。新共同訳では、「喜び祝い、主に仕え/喜び歌って御前に進み出よ」というように、ひと続きの訳となっています。
ここで強調されているのは、「喜び」です。「喜び祝い」、「喜び歌って」神様の御前に進み出るのです。先ほどの1節の「喜びの叫びをあげよ」を加えたら、もうここまでで3回も、「喜び」という言葉が出てきています。表題が「賛歌。感謝のために」であるとお話ししましたが、ここにある「感謝」が、このような喜びの連続の根底にあることは間違いありません。
私たちの団体の名前である「フェローシップ・ディコンリー」のうち、後半の「ディコンリ―」が「仕える」という意味合いを持っているのですが、「仕える」ということに対するイメージはそれこそ人それぞれ、というところではないでしょうか。それを素晴らしい、良いことだ、ということで、生き方の大事な姿勢として取り入れる人もあれば、そんな、人に頭を下げて仕えることなど恥だ、と思う人もいるかもしれません。また、やりがいのある、充実したことだ、と思う人もいれば、それをやや重荷に感じる人もいるでしょう。第一に、この「仕える」ということは、主なる神様に仕えることです。そこから派生して、よくおもてなしをする、ということも含め、人に仕えていくのです。そして第二に、ここで大事なこととして言われているのは、「喜びをもって」主に仕える、ということです。そうだ、ここで「仕える」と言われているのは主に仕えることなのだ、そのことを頭で理解していても、それを重荷と感じ、苦しい、と思っていては、この御言葉で描かれていることとは異なってきます。私たちは「喜びをもって」主に仕えるのです。このあたり、新しい聖書協会共同訳は、「喜びながら」主に仕えよ、と訳します。「喜びをもって」というところを、もう一段階分かりやすく表しているように思います。喜びながら、私たちは主に仕えます。その土台にあるのは、「感謝」です。この教会を70年支え続けてくださった神様の導きに感謝するときに、私たちの心には喜びが生まれるのです。
もうひとつ、実は3節も、私たちの喜びの土台となります。「知れ、主こそ神であると。主はわたしたちを造られた。わたしたちは主のもの、その民/主に養われる羊の群れ」。この、神なき世であると思われるようなこの時代においても、主なる神様がおられ、その方が私たちの神様であることを知る喜びです。この世の出来事など、偶然の連続に過ぎない、あるいは統計学的に見て計算できる事柄の積み重ねに過ぎない、という見方ももちろんあるでしょう。しかし、そのような見方に喜びがあるでしょうか。感謝があるでしょうか。あたりまえに起こることに対しては、特に誰も感謝しません。しかし、偶然でも確率でもなく、そこに神様がおられ、私たちのことを見ておられ、私たちのことを思って、この70年の積み重ねをしてきてくださったことを思うときに、私たちの心には感謝が生まれるのではないでしょうか。
しかも、「私はどこから来て、どこに行くのか」ではありませんが、私は進化の産物なのか、それとも何らかの意図をもってつくられた存在なのか。それは大きな違いをもたらすものです。古い話ですが、30年以上前、まだ学生だったころ、クリスチャンになったばかりの喜びを胸に、友だちにキリスト教のことを伝えていた時に、今すぐ聖書を読む、あるいは教会に行く、ということは決めかねるにしても、それでも、自分が神様によってつくられた存在だ、ということを知るのはうれしい、というような言葉を聞いたことでした。私がどこの誰でもよかった、というのではなく、ちゃんと「私」として、神様につくられた、という事実は、メッセージとして、強く人の心に届きます。「神様につくられた私なのだ」という意識が、人を変えるのです。そればかりか、神様に養っていただいている羊である、というイメージは、安心感を私たちにもたらすのではないでしょうか。
そのような私たちが御心によってこの御影ルーテル教会に集められ、共に主を礼拝するようになりました。今までの歴史を顧み、まさに創立70周年の年の標語である「感謝の祈りを胸に、新たな一歩を」にあるように、新しい歩みを踏み出して行きます。それはまさに、4節にあるように、「感謝の歌をうたって主の門に進み/賛美の歌をうたって主の庭に入れ。感謝をささげ、御名をたたえよ」という姿です。先ほどは、1,2節で「喜び」という言葉が3回、と指摘しましたが、今度はこの4節だけで、「感謝」という言葉が2回繰り返されています。いかに「感謝」ということが大事か、よくわかります。
その感謝の土台はまた、5節にも見られます。「主は恵み深く、慈しみはとこしえに/主の真実は代々に及ぶ」。このような方を前に、感謝の心が起こらないことがあるでしょうか。「主は恵み深い」は、縦の距離のように思われます。下の方に向かって長い、深い、というイメージです。「慈しみはとこしえに」というと、永遠に、ということですから、横の距離のようにも感じられます。それが、長いのです。永遠なのですから、終わりがない。しかも、「主の真実は代々に及ぶ」。世代交代の難しさが多くの世界で言われますが、ここで言われているのは「これから先への安心感」です。主は真実なお方。私たちが、今創立70周年を喜んでいても、果たしてこの先、この教会が80年、90年と存続していけるのか、果たしてその担い手は現れるのか、と心配になったとしても、主の真実は代々に及ぶのですから、これから先のことも、主は丁寧に、誠実に対応してくださり、私たちの教会を導いてくださるのです。恐らく、50周年、あるいは60周年の頃も、「この先教会はどうなるのか」ということは思われていたのだと思います。しかし、それらは杞憂に終わり、無事60周年を迎え、またこのように、70周年を迎えています。安心して、次の時代に向けて、新しい一歩を共に踏み出してまいりましょう。
週報にあります、感謝の祈りを一緒に祈りましょう。
◆創立70周年感謝の祈り◆
神様、今までの教会の歩みに働いてくださって感謝します。これからも礼拝においてあなたからの恵みを受け、常に新しくされて、新たな一歩を踏み出し続けることが出来ますように。アーメン
お祈りします。
天の父なる神様。まことに感謝します。あなたが教会を生み出し、70年の間、育んできてくださいました。あなたの御名を賛美します。今までの70年間、あなたがこの教会を守り導いて来てくださったように、これからの年月も、あなたが変わらずその力強い御手によって導いてください。このような記念の時の直前に、新たな戦争が始まったと報じられました。すでに多くの尊い命が奪われ、心痛めております。一日も早く、争いが集結しますように。あなたの助けを必要としているところが世界中にあります。あなたが御手を伸ばしてお助けください。尊い救い主、イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン
報告
・本日は感謝の創立70周年記念礼拝です。午後は昼食会があり、フェローシップMLCがあります。




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