2026年2月22日 四旬節第一主日
- 明裕 橘内
- 2月22日
- 読了時間: 4分
聖書交読 創世記2章15~17、3章1~7節(旧約p3)
司)2:15 主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。
会)2:16 主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。
司)2:17 ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」
会)3:1 主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」
司)3:2 女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。
会)3:3 でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
司)3:4 蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。
会)3:5 それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
司)3:6 女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。
全)3:7 二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。
聖書朗読 ローマ5章12~19節(新約p280)
5:12 このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。
5:13 律法が与えられる前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪と認められないわけです。
5:14 しかし、アダムからモーセまでの間にも、アダムの違犯と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。
5:15 しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。
5:16 この賜物は、罪を犯した一人によってもたらされたようなものではありません。裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです。
5:17 一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。
5:18 そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。
5:19 一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。
※本日は、御影では橘内玲子牧師の説教です。その要約を掲載します。
説教 「神の恵みと義の賜物を受けている人」
〈本日の説教より〉
①自己認識が大切 自分自身を能力で計るのではなく、神様から豊かな賜物を受けている自分と見ることで、神様への感謝が深まります。
②血縁関係によらない
ユダヤ人だけでなく、異邦人であっても、イエス様によって救われるということは、ローマの信徒への手紙が書かれた時代においては、重要なポイントでした。イエス様によって、あらゆる民族、あらゆる時代の人々の救いに拡張されて、ユダヤ民族の宗教から世界の宗教となりました。
③行いによらないで、信仰によって義とされる
ローマの信徒への手紙3章28節には、このように書かれています。
【人が義とされるのは律法の行いによるのではく、信仰によると考えるからです。】
もっと具体的には、ローマの信徒への手紙4章25節をご覧ください。
【イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。】
イエス様の受難、十字架が敗北の象徴ではなく、十字架の死があったからこそ、イエス様の復活があり、イエス様の復活によって、わたしたちは義、神様の御前で正しい者とされました。
☆神様から義の賜物を受けている者として、また永遠の命を受けている者として、豊かな賜物を与えてくださっている神様に感謝しながら歩んでまいりましょう。




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