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2025年10月26日 宗教改革主日

  • 執筆者の写真: 明裕 橘内
    明裕 橘内
  • 4 時間前
  • 読了時間: 4分

聖書交読 詩編46編(旧約p880)

司)46:1 【指揮者に合わせて。コラの子の詩。アラモト調。歌。】

会)46:2 神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。

司)46:3 わたしたちは決して恐れない/地が姿を変え/山々が揺らいで海の中に移るとも

会)46:4 海の水が騒ぎ、沸き返り/その高ぶるさまに山々が震えるとも。

司)46:5 大河とその流れは、神の都に喜びを与える/いと高き神のいます聖所に。

会)46:6 神はその中にいまし、都は揺らぐことがない。夜明けとともに、神は助けをお与えになる。

司)46:7 すべての民は騒ぎ、国々は揺らぐ。神が御声を出されると、地は溶け去る。

会)46:8 万軍の主はわたしたちと共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。

司)46:9 主の成し遂げられることを仰ぎ見よう。主はこの地を圧倒される。

会)46:10 地の果てまで、戦いを断ち/弓を砕き槍を折り、盾を焼き払われる。

司)46:11 「力を捨てよ、知れ/わたしは神。国々にあがめられ、この地であがめられる。」

全)46:12 万軍の主はわたしたちと共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。


聖書朗読 ローマ3章19~31節 (新約p277)

3:19 さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法の下にいる人々に向けられています。それは、すべての人の口がふさがれて、全世界が神の裁きに服するようになるためなのです。

3:20 なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。

3:21 ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。

3:22 すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。

3:23 人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、

3:24 ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。

3:25 神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。

3:26 このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。

3:27 では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。

3:28 なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。

3:29 それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもないのですか。そうです。異邦人の神でもあります。

3:30 実に、神は唯一だからです。この神は、割礼のある者を信仰のゆえに義とし、割礼のない者をも信仰によって義としてくださるのです。

3:31 それでは、わたしたちは信仰によって、律法を無にするのか。決してそうではない。むしろ、律法を確立するのです。


※本日は馬渕主事の説教です。その要約を掲載します。


説教 「行いと信仰」

かつて、シスター・エーデルトラウトは日本宣教の難しさに触れて、一言、「それは、救いの恵みはただだということなのですよ」を言われました。「ただで、無償で救われる」。これが理解されにくいというのが、シスターの言われた意味でした。私たちは、「信じて、受け取りさえすれば」よい、そのことの素晴らしさと同時に、そのことが、時にはとても難しいことをシスターは、この日本での半世紀にわたる宣教を通じて、しみじみと伝えられたのでした。


実は、ルターが宗教改革を始めた直後から、「救いは一方的な恵みによって与えられることは分かった。しかし救われた後には、私たちも自らを律して、よい行いをするように努めなければならない」 このように考える人々が多くいました。でも、それは結局、行いによって私たちは自らを誇ることにつながっていくのです。ルターは言いました。私たち自身には、律法の要求する正しい行いをなせる力はない。私たちは、救われた後も罪人であることは変わらないのだ。それをルターは、「義人にして罪人」と形容しました。「だから、私たちには日々の悔い改めが必要である。そのようにしてはじめて私たちは日々、恵みを受け取ることができるようになる」と説いたのです。それを行う場が、日々のデボーションの時であり、主日毎の礼拝なのです。ルターは続けて言います。恵みをさらに心を開いて、受け取りましょう。それが溢れるまでにと。そうしてはじめて、私たちは自分の力ではなく、恵みの御霊に導かれて、律法に示されている行いにまで導かれるのです。


報告

・本日は馬渕主事の説教でした。感謝します。本日は、午後1時から三浦綾子読書会があります。

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