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元旦礼拝 2026年1月1日

  • 執筆者の写真: 明裕 橘内
    明裕 橘内
  • 2 時間前
  • 読了時間: 11分


聖書交読   詩編8編 (旧約p840)

司)8:1 【指揮者によって。ギティトに/合わせて。賛歌。ダビデの詩。】

会)8:2 主よ、わたしたちの主よ/あなたの御名は、いかに力強く/全地に満ちていることでしょう。天に輝くあなたの威光をたたえます

司)8:3 幼子、乳飲み子の口によって。あなたは刃向かう者に向かって砦を築き/報復する敵を絶ち滅ぼされます。

会)8:4 あなたの天を、あなたの指の業を/わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。

司)8:5 そのあなたが御心に留めてくださるとは/人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう/あなたが顧みてくださるとは。

会)8:6 神に僅かに劣るものとして人を造り/なお、栄光と威光を冠としていただかせ

司)8:7 御手によって造られたものをすべて治めるように/その足もとに置かれました。

会)8:8 羊も牛も、野の獣も

司)8:9 空の鳥、海の魚、海路を渡るものも。

全)8:10 主よ、わたしたちの主よ/あなたの御名は、いかに力強く/全地に満ちていることでしょう。


聖書朗読 黙示録21章1~6節(新約p477)

21:1 わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。

21:2 更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。

21:3 そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、

21:4 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」

21:5 すると、玉座に座っておられる方が、「見よ、わたしは万物を新しくする」と言い、また、「書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である」と言われた。

21:6 また、わたしに言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。


説教 「新しい世界へ」


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、

恵みと平安があなたがたにありますように。アーメン


主の新年、あけましておめでとうございます。いよいよ教会創立70周年の年、2026年が始まりました。今年もよろしくお願いします。


この元旦礼拝において、共に新年のお祈りをし、また今年の御言葉を読みました。創立70周年の年の標語は、プログラム用紙右下にもありますように、「感謝の祈りを胸に、新たな一歩を」となっています。今までの歴史の積み重ねと、そこに働かれた神様の御業に感謝するとともに、新たな歩みの一歩を踏み出すこの2026年になったら幸いです。


それぞれ皆さん新たな年をお迎えになって、いかがだったでしょうか。新年となり、新たな気持ちになっておられるかと思いますが、今日お開きいただいている聖書のことばにも、「新しい天と新しい地」ということで、「新しい」という言葉が使われています。まさに、元旦礼拝にふさわしい御言葉と言えるかと思います。


本日お開きいただいているのはヨハネの黙示録で、難解な幻の部分も多いですが、この部分は比較的メッセージ性がはっきりしていて、わかりやすいところだと思います。先ほどご紹介した「新しい天と新しい地」という言葉は、1節に登場します。今日開いている部分で、この「新しい」という言葉はある種キーワードのようなもので、この部分に3回、そして「新しくする」という言葉が1回出てきます。繰り返し用いられている、重要な言葉です。「最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった」と続いていますが、これは「以前の天と以前の地は過ぎ去った」ということを表しています。「新しい」という言葉との対比で言えば、「古い」と言い換えてもいいでしょう。そのように、古いものが過ぎ去ったことの表れとして言われているのが、「もはや海もなくなった」ということです。これは、この黙示録を最初に聞いた人々にとってはまさに良い知らせ、福音でした。何しろ、旧約聖書の世界においては、海からは何か恐ろしいものが現れる、と考えられていました。それは、ダニエル書などにも見られる思想で、旧約聖書の民は海の近くにいながらも、海に対しては良い印象を持っていなかったようです。そのような背景を持つ人々に、「もはや海はない」とは、大きな慰めのメッセージだったのです。


そのように、くっきりと古いものと新しいものが区別されているのは、私たちからすると、洗礼を受けて、古い人が滅び去り、新しい人がよみがえることを慰めとすることとつながっているように思います。私たちは昨年一年間を見ても、自分の中に、いくら新しくされたと思っていてもなお、古い自分が残っていることを目の当たりにして、落ち込み、がっかりしてきました。だからこそ、そのような古い姿から解放されて、まったく新しくされる、ということこそ大きな希望であり、洗礼を受けて、その希望が与えられていることに、私たちは大いに喜んでいるのです。同じように、古い世界はすっかり滅び去り、新しい世界が来る、ということが、私たちにとって大きな希望となります。2節では、今度は「聖なる都、新しいエルサレム」という言葉で、世界が新しくされることがさらに強調され、私たちの希望を駆り立てます。


3節では、天の玉座から聞こえてくる声について記されています。「見よ、神の幕屋が人の間にあって」と言われており、「見よ、わたしの幕屋が」となっているわけではないので、これは天使であるとか、天における号令をかける存在の言葉であると推測されます。その言葉が語るメッセージは、まさに「インマヌエル」と言えるものです。昨年12月21日のクリスマス礼拝において、「インマヌエルであるキリスト」というテーマで取り上げた、あのインマヌエル、すなわち、神が我々と共におられる、という真理です。天に鳴り響く大きな声は、「神が人と共に住む」と言いました。これこそまさにインマヌエル、神が我々と共に、という理想の状態を表しています。マタイの福音書の冒頭で、キリストの誕生によってインマヌエル、という状況が実現すると述べられ、またマタイの福音書の終わりに、キリストが「見よ、わたしは世の終わりまで、あなたがたとともにいる」という言葉を残し、そこにおいても「インマヌエル」という現実が成り立っていることが示されていましたが、ここで、新しい天と新しい地が来る、との預言においてもまた、神が人と共に住む、というメッセージにおいて、インマヌエルが実現しているのです。ある意味で、インマヌエルの究極形と言っても言い過ぎではないでしょう。


4節にも、まだ玉座の声は鳴り響いています。「彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」。この部分に、多くの人がイザヤ書からの影響を指摘してきました。イザヤ書25章8章には、


「死を永久に滅ぼしてくださる。主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい/御自分の民の恥を/地上からぬぐい去ってくださる。これは主が語られたことである」


と預言されています。まさにこの預言の実現が、この黙示録21章4節のことばなのです。


5節で口を開かれる、「玉座に座っておられる方」こそ、イエス・キリストにほかなりません。そのお方が、「見よ、わたしは万物を新しくする」と宣言なさいます。ここにも、旧約聖書のイザヤ書の預言の響きを感じ取ることが出来ます。


「見よ、新しいことをわたしは行う。 今や、それは芽生えている。 あなたたちはそれを悟らないのか。 わたしは荒れ野に道を敷き 砂漠に大河を流れさせる。」(イザヤ書 43:19)


旧約聖書の土台のある黙示録の読者に、イエス様はあえて旧約聖書の御言葉を用いて、語り掛けられます。黙示録の読者、あるいはその朗読を聞いた者たちは、この「見よ、わたしは万物を新しくする」という言葉を聞くと、即座にイザヤ書の「見よ、新しいことをわたしは行う」という預言のことばを思い出し、それを語られた万軍の主が、まさにイエス様と同一の方であることを理解して、イエス様の権威を信じたのです。そのことがあったからこそ、「書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である」と書かれているのです。


またイエス様は、「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである」と宣言されました。ご存じのように、この「わたしはアルファであり、オメガである」という表現は、ギリシア語で「アルファ」が最初のアルファベット、そして「オメガ」が最後のアルファベットであることから、説明されているように、「初めであり、終わりである」ということを意味しています。ご自身の御業によって、救いは完成しているので、それに何も付け加える必要はない、ということを、ここでは宣言しているのです。


それに加えて、「渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう」というイエス様の約束は、そのまま2026年、教会創立70周年の年を生きる私たちへのイエス様の確かな約束です。割と元旦や正月三が日は、新鮮な思いがして、わくわくしているところもありますが、1週間、2週間と過ぎていきますと、また物価の高さとか、先行き不透明なことなどが気になりだして、心が乾くと言いますか、希望を失っていく現実もあろうかと思います。そのような時こそ、このイエス様の約束を思い出していただきたいのです。「渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう」。まさに、「あなたたちは喜びのうちに/救いの泉から水を汲む」という、昔の「マイムマイム」というフォークダンスの歌の歌詞にもなっているイザヤ書12章3節の御言葉をもとに、私たちがたとえ乾いても、またイエス様によって潤されることが確かに約束されているのです。


そのように、私たちには新しい天と新しい地が約束されており、そこにはインマヌエルの究極形が実現していて、私たちの目から涙が拭い去られるという最大級の慰めがあり、乾いても乾いても、何度でも命と救いの水の泉によって潤していただける、という約束がありました。これは、遥かに臨む天国の約束であるだけでなく、ある意味でこの新しい2026年も、この新しい天と新しい地のようである、という約束でもあるのです。今年私たちは、イエス様が共におられ、大いに慰めてくださり、大いに潤してくださることを、大胆に信じながら過ごしていくことができるのです。


そのような新しい世界へ、私たちは入っていくわけですが、先ほど来申し上げているように、今年は教会創立70周年の記念すべき年ですから、その指針となるようなことを少しお話しして、終わりにしたいと思います。


今日ご紹介したいのは、「プラスワン」という言葉、考え方です。新しい世界へ入っていく私たちが、具体的にそのようなことを大事にしながら、歩んで行けたらと願い、ご紹介しています。「プラスワン」ですから、もうひとつ加える、ということです。例えば、礼拝において、私たちは神様が私たちに仕えてくださり、私たちに恵みを豊かに与えてくださることを体験するのですが、毎週出席出来れば理想ですけれども、なかなかそうはいかないかもしれません。でしたら、月2回は来れる、という方でしたら、それにプラスワン、あと一回加えて月3回礼拝に出席する。何とか月1回来ていました、という方でしたら、あと一回加えて月2回礼拝に出席する。そういった考え方です。また、一週間に、教会には礼拝に出席する時だけ、一回来られる、という方は、それにプラスワン、土曜日の御影の祈祷会、あるいは水曜の園田の祈祷会に出席するようにする、というようなことです。


また、この創立70周年の年、多くの方々と一緒に、礼拝の恵みにあずかりたいと願います。そこにこのプラスワンの考え方を適用するなら、私が一人、礼拝にお誘いする、ということも思いつくでしょう。それを何度も、毎週毎週、というのはたいへんだということであれば、こんな風に考えてみてはいかがでしょう。一年に主日礼拝の数は52回。それに、3回の平日の礼拝(元旦礼拝、受苦日礼拝、クリスマスイブ燭火礼拝)があり、加えて今年は1回の式典、すなわち11月23日の創立70周年記念式典があります。そのような機会のうち、一回でも、プラスワン、一人をお誘いする、ということができるように願い求めてみる、ということです。今年の御言葉はこうです。


「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」(フィリピの信徒への手紙4章6節)


今年、ぜひ一度でも、知り合いの方を、お友達を、家族を教会にお誘いしたいのです、という気持ちを神様に打ち明けるのです。神様は、その祈りを聞いてくださいます。


その他、例えば、神様へのおささげものにしても、今までに加え、たとえば感謝献金をプラスワン、何か機会を見つけておささげするとか、いろいろご提案したいことはありますが、今日はそのいとまがありません。でも、どうでしょう。この「プラスワン」のような新しいことを考えていると、イエス様の「見よ、わたしは万物を新しくする」という御言葉が耳に響いてくるような思いがいたします。私たちは今年、新しい世界に入っていくのです。しかし、そこは何があるかわからない未開の地なのではなく、インマヌエル、神様が私たちと共にいてくださる場所です。どんな困難があろうと、死を打ち滅ぼされた力あるイエス様がおられ、私たちがふと流す涙をぬぐい取ってくださり、乾いても乾いても、潤し続けてくださるのです。そのような新しい世界へ、「見よ、わたしは万物を新しくする」と宣言されるイエス様が私たちを招いておられます。一緒に、その新しい世界へ、大胆に一歩、足を踏み入れてまいりましょう。


お祈りいたします。

天の神様。この新しい一年をありがとうございます。教会創立70周年の記念すべき年を、このように礼拝において主の恵みをいただいて始めることができ、感謝いたします。あなたが私たちを、新しい世界へと招き入れていてくださること、ありがとうございます。それは、神が私たちと共に住むという、インマヌエルの世界です。そこで恵みをいただき、慰めを受け、イエス様のなさる新しいことを感謝して受け止めながら、この一年を過ごしていくことが出来ますように。私たちと家族が健康であり、また世界が平和であって、多くの苦しむ方々に福音が届き、やわらぎが実現しますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン

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