今回は、「第6回 聖書研究会」の内容をご紹介します。テーマは「ヨシュア記」
第6回 聖書研究会 「ヨシュア記」
【ヨシュア記について】
・ヨシュア記は、イスラエル部族がどのようにして約束の地カナンを征服し、その土地を分配したかを描いている。書名はモーセの死後、イスラエルの指導者として選ばれたヨシュアに由来する。ヨシュアという名前には「主(ヤハウェ)は救う」という意味があり、それがヨシュア記の主題と重なっている。
・ヨシュア記に記されているのは、紀元前1250〜1225年の頃とされている。
【構成】
1:1 ~ 12:24 カナンの占領
13:1 ~ 22:34 約束の地の分割
23:1 〜 24:33 ヨシュアの最期
【注目点】
1.若い時から従者で合ったヌンの子ヨシュアがモーセの後継者に
申命記34:9
ヌンの子ヨシュアは知恵の霊に満ちていた。モーセが彼の上に手を置いたからである。
出エジプト記33:11
主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた。モーセは宿営に戻ったが、彼の従者である若者、ヌンの子ヨシュアは幕屋から離れなかった。
民数記11:28
若い頃からモーセの従者であったヌンの子ヨシュアは、「我が主モーセよ、やめさせてください。」と言った。
民数記14:6〜7節
土地を偵察してきた者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフネの子カレブは、衣を引き裂き、イスラエルの人々の共同体全体に訴えた。
他の偵察してきた人は「カナンの住民は強く、我々は勝てない」と言った。この意見が通ったため、この後、40年間荒れ野をさまようこととなった。
2.偉大なるモーセの後継者だからこそ、強く、雄々しくあれ
ヨシュア記1:6
強く、雄々しくあれ。あなたは、私が先祖たちに与えると誓った土地を、この民に継がせる者である。
・2章 エリコを探る
1節 遊女ラハブは、宿屋の女主人とも思われる。
敵国であるイスラエル民族の偵察どうして逃してくれたのか?
→その土地の支配者に対する不満があったからという可能性が考えられる。
・3章
6節 契約の箱を担ぐ
軍事的な戦いであるのと同時に、神様を立てた宗教的な戦争でもある。
モーセの出エジプトの場面に似ている。
・6章
2節〜5節 7人の祭司
当時の街は城壁に守られていた。
戦いを専門とするわけではない祭司が先導した。
・24章 ヨシュアの最期
24:15 「わたしとわたしの家は主に仕えます。」とヨシュアは民に言った。
24:24 「わたしたちの神、主にわたしたちは仕え、その声に聞き従います。」と民はヨシュアに答えた。
24:29 ヨシュアは110歳の生涯を閉じた。 モーセは120歳(申命記34:7)
【質疑応答】
質問1. 6章10節 閧の声とは?
士気を鼓舞するために、多数の人が一緒に叫ぶ声
質問2. 6章でエリコの町を7周しているが、そんなに広くない町なのか?
エリコは交易と商業の中心地であったが、約2.4ヘクタール(7,300坪・158m×158m)とその規模は小さく、イスラエルの民がゆっくり歩いても1日に7周出来た。
質問3.7章6節 衣服を引き裂き、頭に塵を被ったとは
旧約聖書では、悲しみを表す行動
質問4. 7章14節の「部族」と「氏族」とはどう違う?
「部族」と「氏族」は「同一の文化的な背景を持つ人たちの集まり」と言う意味では同じであるが、集合の大きさで定義できる。
「氏族」が集まって「部族」になり、「部族」が集まったものを「民族」と呼ぶということになる。
質問5.8章34節 律法の言葉すなわち祝福と呪いとは?
主なる神様に従うと祝福を受ける、従わなければ呪いを受ける、と言う意味で。
質問6.24章19〜20節
申命記に続き、偶像礼拝への警告が行われる。
イスラエルによって征服された土地で、土着の信仰は取り除かれたのではないのか?
なぜ偶像礼拝はこれほど根深く残り続けたのか?
・「偶像礼拝」とは何か?
主なる神様以外のものを、主なる神様以上に崇拝すること。
・歴史的にみても、あらゆる国民にあらゆる宗教性が存在している。
人間というものは、人間をはるかに超えた存在に依存したい願望があると考えられる。
だからこそ、間違ったものに依存しないように、偶像礼拝を幾度も幾度も禁止するのは、神様が人間に自由を与えつつも、神様からの祝福を受け損なうことのないように、厳命されている。
・私にとって、偶像礼拝とは何か?
自分が目指しているものが偶像になってしまっていないか。
むなしい偶像に心を留めるものは、自分への恵みを捨てます。
(新改訳聖書 ヨナ書2:8)
「自分への恵み」は、神様がその人のために備えられた恵み
【感想】
・自分の身の回りでも家庭や仕事など、どこに自分にとっての偶像が現れるか分からないので気をつけないといけないと思った。
・ヨシュアが戦いたくないと言ったらカナンの土地を得られなかったかもしれない。
・神様の言葉を実行することは大事だと感じた。
・7:5の表現が詩的でいいと思った。
・偶像礼拝が単なる偶像を指すものではないという説明は納得できた。
・10章12〜13節は、教会がかつて天動説の根拠としていた箇所
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