青年たちの聖書研究~第38回『ゼファニヤ書』
- 明裕 橘内
- 5月22日
- 読了時間: 6分
【ゼファニヤ書について】
・「ゼファニヤ書」は、主に従ったヒゼキヤ王の子孫であるゼファニヤに臨んだ主の言葉である。
・「ゼファニヤ」という意味は「主は守る」。4代前の祖先の名前まで記されている唯一の預言者。ゼファニアは、南王国ユダのヒゼキヤ王のひ孫の息子であると考えられる。ゼファニヤは紀元前666年頃に生まれ、ヨシヤ王の治世が始まる紀元前640年には20歳台半ばであったと推察することができる。
・ヒゼキヤ王の次のマナセ王とアモン王の時代に、南王国ユダはアッシリア帝国の影響を強く受けて、王や王族はアッシリア帝国の習慣を受け入れ、そして人々はバアル(1:4)、マルカム(1:5)と云った外国の神々を礼拝していた。アモン王は家臣たちの手にかかって殺され、在位は2年間だけであった。その後ヨシヤが8歳で王となり、31年間エルサレムで王位にあった(列王記下22:1)。ヨシヤ王の治世第18年に、主の神殿で律法の書が発見された(22:8)。ヨシヤ王はその教えに従い、偶像礼拝の祭壇を取り壊して、律法に従って生きるようにと人々に命じた。ゼファニヤの預言がヨシヤ王の改革に大きな影響を与えたと考えられる。
・南王国ユダは堕落を重ねていき(ゼファニア3:7)、ついには、バビロニア軍がエルサレムを破壊し、ゼファニヤによる裁きの警告の通りとなった(紀元前587~586年)。ユダの人々は捕囚として連れ去られた。紀元前586年、ペルシアの王キュロスが70年間程バビロニアで捕囚となっていたユダの人々にエルサレムへの帰還の許可を与えた(エズラ1:1~4)旧約聖書723ページ。ゼファニヤ書の最後は、再び主の祝福を受け、繁栄を回復する約束が語られている(3;20)。
「そのとき、わたしはお前たちを連れ戻す。そのとき、わたしはお前たちを集める。わたしが、お前たちの目の前で/お前たちの繁栄を回復するとき/わたしは、地上のすべての民の中で/お前たちに誉れを与え、名をあげさせると/主は言われる。」
【ゼファニヤ書の内容】
*1:1~2:3 ユダの裁きの日
1:1 【表題】 ヨシア王の時代に、ゼファニヤ臨んだ主の言葉
1:2~18 主なる神様の怒り日
主を求めようとしない者は断つ(6)。主の日は近づいている(7)。
2:1~3 共に集まれば
主の怒りの日が臨まぬうちに、主を求めよ。
主の怒りの日に、そうすれば身を守られるかもしれない(2~3)。
*2:4~3:19 諸国民の滅亡
ガザ、アシュケロン、アシュドド、エクロン(4)は、ペリシテの大都市。
クレタ、カナンの民は、ペリシテ人(5)を指す。
☆「ユダの家の残りの者」とは、神の裁きの後に残った民。彼らが領土を回復し、他の国々も治めるようになると語られている(7)。
モアブもアンモン(8)もイスラエルの敵。
クシュ(12)はエジプトの南部、現在のエチオピアとスーダンを含む地域。
*3:1~20 エルサレムの罪とその回復
エルサレムでは預言者や祭司でさえも律法に従っていなかった(4)。
それゆえ、地上はくまなく、主の熱情の火に焼き尽くされる(8)。
その後、主は諸国の民に/清い唇を与える。
彼らは皆、主の名を唱え/一つとなって主に仕える(9)。
主は苦しめられ、卑しめられた民を残され、彼らは主を避け所とする(12)。
イスラエルの残りの者は不正を行わず、偽りを語らない。
彼らは養われて憩い、彼らを脅かす者はない(13)。
主は裁きを退け、敵を追い払われた。
イスラエルの王なる主は民の中におられるので、もはや、災いを恐れることはない(15)。
主なる神は残りの民のただ中におられ/勇士であって勝利を与えられる。主は民のゆえに喜び楽しみ/愛によって民を新たにし/民のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。(17)。
*ゼファニヤ書の最後の言葉
残りの民の繁栄を回復する時、主は、地上のすべての民の中で残りの民に誉れを与え、名をあげさせると/主は言われる(3:20)。
【注目点】
*ヘブライ語ではバベルもバビロンも同じ言葉とのこと
*主に裁かれ、主に清められた後に来る祝福
主の熱情の火に焼き尽くされるが(3:8)、その後、主は諸国の民に/清い唇を与えられ、彼らは皆、主の名を唱え/一つとなって主に仕える(3:9)。
紀元前586年エルサレムの滅亡そして、捕囚後、紀元前515年の神殿再建を語っていると考えられる。
また、終末論として(世の終わりの出来事として)、考えられる。あるいは、信仰の試練に耐えて、清められる信仰者の姿とも考えることもできる。
*私たちを喜び楽しみしてくださる神様
主なる神は残りの民のただ中におられ/勇士であって勝利を与えられる。
主は民のゆえに喜び楽しみ/愛によって民を新たにし/民のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる(3:17)。
◎「神は私たちを愛してくださっている」と信じていますが、具体的には、私たちのことを喜び楽しみにしてくださる神様であるといつも心に覚えたい。
*栄誉を与えてくださる神様
残りの民の繁栄を回復する時、主は、地上のすべての民の中で残りの民に誉れを与え、名をあげさせると/主は言われる(3:20)が、ゼファニヤ書の最後の言葉となっている。
☆「残りの民」とは「ユダの家の残りの者」(ゼファニヤ2:7)、そして信仰に忠実な人々
イスラエルの民は不忠実だったので神の裁きによって滅ぼされることになったが、神の恵みとあわれみによって、イスラエルの民の中から裁きを受けても生き残ると約束された人々を選ばれた。新約聖書では、イスラエルの民に限定しないで、信仰に忠実な者を残りの民と見ている。
『ローマの信徒への手紙 11:4~5
しかし、神は彼に何と告げているか。「わたしは、バアルにひざまずかなかった七千人を自分のために残しておいた」と告げておられます。同じように、現に今も、恵みによって選ばれた者が残っています。』
【質疑応答】
①ゼファニヤ1:5 「マルカム」とはなにか。
異教の神の名前と考えられます。アンモン(地名)の豊穣の神とされていました。
②ゼファニヤ1:7「沈黙せよ」とあるが、なぜ賛美したり、悔い改めたりすることを命じるのではなく沈黙することを命じているのか。
1:4~5に書かれているように、異教の神々を礼拝し信仰していたので、方向転換をして、まず、1:7「主なる神の御前に」静まり、落ち着いて、主なる神様の語りかけに耳を傾けるように諭されていると考えられます。
③預言者は時にはその時代の王様が良しとしている異教の礼拝などをやめるように民に伝えることがある。そのような時に、王様の方針に反対する者として捕らえられたり迫害されたりすることはあったのだろうか。
ダビデ王の子孫である王たちは、主なる神様(ヤーハウェ)を信じるべきであると子々孫々と伝えられてきましたが、だからこそ、それは古い考えで、アッシリアやバビロニアのような大国に迎合するためにも、それらの異教の神々を取り入れる必要があると考えた王もいたことでしょう。具体的には、マナセ王の時代に、預言者が偶像礼拝を非難しましたが、列王記下21章16節に「罪のない者の血を非常に多く流し」たとあり、これが預言者に対する迫害と考えられています。
(担当・橘内玲子)
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