第8回 聖書研究会 「ルツ記」
【ルツ記について】
・聖書には、女性の名が付けられた書はルツ記とエステル記のみである。
・ルツの物語はイスラエルの民に、神様はユダヤ人だけではなく、女性や異邦人をも用いて神様のご計画をこの世界で成就されることを示された。戦いを重ねる士師記とサムエル記の間にあって、ルツ記は砂漠に湧き出るオアシスのように、ルツ記を読む人々の心を慰めると考えられる。
・ナオミ、ルツ、ボアズ、近所の人たちの思いやりの物語
・ルツは「友」あるいは「同伴者」という意味
・「贖い」という重要な概念が登場する。
「贖い」とは、ただ単に救出するということではなく、(犠牲を払って)買い取るということである。
【わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪赦されました。
(エフェソ1:7)】
・異邦人の女性ルツは、ダビデ王、そしてメシアの家系に名を連ねることになる。
【注目点】
モアブへの移住( 1 : 1 ~ 5 )
士師記の時代はイスラエルの人々は自分の目に正しいと見えることを行うという(士21:25)、混乱の中にあり、飢饉も襲ってきた。ユダのベツレヘム出身の人エリメレクは、妻ナオミと二人の息子マフロンとキルヨンと共にモアブの野に移り住んだ。エリメレクは亡くなり、息子たちモアブの女性と結婚し、十年ほど暮らした。
ベツレヘムへの帰還(1:6~22)
マフロンとキルヨンも亡くなり、キルヨンの妻オルパは里に戻ったが、マフロンの妻ルツはナオミを見捨てられず、「あなたの神はわたしの神」(1:16)と信仰告白をし、ナオミとルツはベツレヘムに帰って行った。この信仰告白によってイスラエルの民が受ける祝福に与ることができた。ベツレヘムに戻ったナオミは「ナオミ(快い)」ではなく、「マラ(苦い、苦しみ)」と呼んで欲しいと町の人々言い、「全能者がわたしをひどい目に遇わせた」とまで言うほどに、落胆していたが、神様のご計画は始まろうしていた。大麦の刈り入れのころ、つまり春先であった。
*自分の考えでは最悪の状態であっても、良いタイミングで神様のご計画が始まっていることに心に留めたい。
1:11 夫になるような子供
夫が死んで子供がいなかった場合、その夫の兄弟が残された寡婦と結婚するのが古代イエスラエルの習慣であった(レヴィラト婚と言う)。新たな夫婦の間に生まれた子供はなくなった兄弟の家名を継ぐとされた 。家系の断絶を防ぎ、家名の存続ためであった。(申命記25:5~10)
ボアズの畑に行くルツ( 2 : 1 ~ 23 )
ルツは「落ち穂拾い」に行かせてほしいと、ナオミに願い出た。そこはたまたまエリメレクの一族のボアズの畑であった。ボアズは「主人が亡くなった後も、しゅうとめに尽くしたこと、故郷を捨てて、見も知らぬ国に来たことを聞いていました。イスラエルの神があなたに十分に報いて下さるように。」とルツに言い、ルツを大切に扱うように僕たちに命じた。
2:3そこはたまたまエリメレクの一族のボアズの畑であった
新改訳聖書では「はからずとも」と訳されている。ナオミに仕え、神様の導きに従って生きていこうとするルツに、神様は不思議な出会い、神様のご配慮を与えてくださった。
2:20家を絶やさないよういする責任ある人(→質問1)
新改訳聖書では買い戻しの権利のある人と訳されている。ヘブライ語のゴーエルは「買い戻す」「贖う」の意味があり、近親者の保護、世襲である嗣業の地を買い戻す義務が課せられている。
買い戻しを求めるルツ( 3 : 1 ~ 18 )
ナオミはルツが幸せになる落ち着き先を探していた(3:1)。古代イスラエルでは土地、建物などの財産は男性が所有し、息子に受け継がれていくため、未婚女性や寡婦が自力で暮らしていくのは難しかった。女性には面倒を見てくれる夫や息子の存在が非常に重要であった。 ナオミの助言に従って、ボアズの衣の裾で身を覆って横になった(3:7)。衣の裾を広げて覆って下さい(3:9)と言うことを受け入れると、ルツとの結婚に同意することを意味する。「裾」と訳されたべブライ語カナフは「翼」と同じ語。翼は神様による保護の象徴である。ルツが、誠意をもって買い戻しを要求していることを理解したので、ボアズは優先権のある親族が買い戻しするかどうかを確認することとした。
ボアズによる買い戻し( 4 : 1 ~ 12 )
買い戻しを権利のある親族は、一旦はエリメレクの土地を買うと言いながら、「モアブの女ルツも引き取らなければなりません。故人の名をその嗣業の土地に再興するためです。」(4:5)と聞かされると、そこまで責任はとれないとのことであった。(4:6)
「今日、私がエリメレクとキルヨンとマフロンの遺産をナオミの手から買い取り、ルツを引き取って妻とします。故人の名をその嗣業の土地に再興するため、また故人の名が一族や郷里の門から絶えてしまわないためです。」(4:10)とすべての民に言った。
ダビデの家系( 4 : 13 ~ 22 )
4:11 ラケルとレアのように
族長ヤコブの二人の妻。十二部族の祖となった人々の母。
ボアズとルツは結婚に導かれ、オベドが生まれた。「その子は魂を生き返らせ、老後の支えとなる」と、ナオミは近所の女たちからも祝福を受けた(4:15)。
モアブ出身のルツもまた、信仰によってイスラエルの神の翼の元に身を寄せることとなり、その結果、子孫の中からメシアが誕生するようになる。
ボアズとルツ → オべド → エッサイ → ダビデ そして、イエス・キリストへ
【質疑応答】
1.家を絶やさないようにする責任とはどういう意味?
夫が死んで子供がいなかった場合、その夫の兄弟が残された寡婦と結婚するのが古代イエスラエルの習慣であった(レヴィラト婚と言う)。新たな夫婦の間に生まれた子供はなくなった兄弟の家名を継ぐとされた 。家系の断絶を防ぎ、家名の存続ためであった。(申命記25:5~10)
土地や財産を家族の中に留めておくために、古代イスラエルでは想像を超える努力がなされた。
2.ルツの出自であるモアブは民数記の時代からイスラエルと対立関係にあったのに、ルツ自身は肯定的に描写されている。イスラエルとモアブは必ずしも対立関係にはなかったと解釈するべき?それともルツが「例外的に」モアブ人の中で正しい人であったと解釈すべき?
・モアブ族はアブラハムのおいロトの子から(創世記19:36~37)であり、ルツの時代は、イスラエルとモアブは友好的だったので、飢饉が襲った時にエリメレクと妻ナオミはモアブに移り住んだと考えられる。
・モアブ人の中にも、神様を知る機会があれば、【あなたの神はわたしの神】(ルツ1:16)と、信仰告白をするルツが現れる。「例外的」というか、神様によってルツが選ばれた考えられる。
3.そもそもルツ記は聖書全体の中でどのような立ち位置にあると解釈するべきか?(ダビデに繋がる系譜を補助的に説明するもの?マタイ1章も参照)
ルツの物語はイスラエルの民に、神様はユダヤ人だけではなく、女性や異邦人をも用いて神様のご計画をこの世界で成就されることを示された。
ルツはモアブ出身であり、ナオミは子のない寡婦、このような恵まれていないかのような、神様に選ばれてはいないかのような二人の女性は神様に用いられて、救い主の出現に導かれる(マタイ1:5)。戦いを重ねる士師記とサムエル記の間にあって、ルツ記は砂漠に湧き出るオアシスのように、ルツ記を読む人々の心を慰めると考えられる。
【感想】
・一般人が主人公になる物語が聖書にあるのが自分にとっても親近感が湧き、読みやすかった。
・落穂拾いという習慣は、今回ルツ記を読んで初めて知った。
・当時、女性が一人で暮らしていくのは難しかったのだと知ることができた。
・聖書研究会に初めて参加したが、礼拝以外にもこのように学ぶ機会があることがとてもありがたいと思った。
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