青年たちの聖書研究~第42回『中間時代』
- 明裕 橘内
- 9月25日
- 読了時間: 8分
【中間時代とは】
・旧約聖書と新約聖書との中間の時代のことであり、
預言者マラキの時代の後、バプテスマのヨハネの登場までの期間。
「400年の沈黙の期間」とも言われるが、この期間に、イスラエルの政治的、宗教的、社会的状況は激変した。中間時代は、メシア登場の舞台が整う時代であるとも言える。
・ユダヤ的視点から時代区分すると、第二神殿期という表現も近年使われている。
最初にエルサレム神殿が奉献されたのは、ソロモンの時代(紀元前10世紀)であったが、バビロン帝国によって、エルサレムは陥落して神殿は破壊された(紀元前6世紀)。バビロン捕囚から帰還したユダヤの民が再建した神殿が、第二神殿と言われる。この第二神殿を、ユダヤの反乱を鎮圧したローマ軍が紀元70年に破壊した。「中間時代」と第二神殿期とは、ほぼ同時代と考えられる。
【歴史的状況】
・紀元前6世紀、捕囚から帰還した民は破壊された神殿を再建し(エズラ記)、紀元前5世紀、エルサレムの城壁が再建された(ネヘミヤ記)。回復したように見えたユダ王国は、その後のマラキの時代にはすでに堕落が起こっていた。
・マラキの時代からさらに70年くらい経った頃、紀元前331年、アレクサンドロス大王がペルシャのダリヨス王を破った。アレクサンドロス大王はギリシヤの辺境にあったマケドニアという国の王で、20代の若さで即位、すぐにギリシヤを滅ぼし、当時は民主政だったギリシヤを支配した。そして小アジア、エジプトを征服し、ペルシャ帝国まで滅ぼした。わずか10年の間に、史上最大の領地を持つ帝国となったが、アレクサンドロス大王は病死してしまった。しかし、この時代のユダ王国もまた、アレクサンドロス大王の死を境に、さらなる波乱の中に巻き込まれていく。アレクサンドロス大王の領土は大きく分けると以下の3つの国に分けられた。
1)プトレマイオス朝エジプト、2)アンティゴノス朝マケドニア、3)セレウコス朝シリア
・アレクサンドロス大王の支配下にあった地域を治めていたのは、すべてギリシヤ人であったので、アレクサンドロスの帝国に正式な名称はないが、ギリシヤ帝国と呼ばれている。そして、ギリシヤ人の支配者たちは、それぞれの地域でギリシヤの文化を広げていった。ギリシヤの文化をへレニズム文化と呼び、アレクサンドロス大王からこのヘレニズム諸国が全て滅びるまでの300年間は、ヘレニズム時代と呼ばれる。
【七十人訳聖書】
この時代に、アレクサンドロス大王の支配下にあった地域では、公用語としてギリシヤ語(コイネーギリシヤ語)が使われるようになった。(コイネーとは古代という意味)
そのような中で、ユダヤ人の中にもヘブル語が理解できず、ギリシヤ語だけ理解できるユダヤ人たちも出てきたので、聖書もギリシヤ語に翻訳される必要が出てきた。この翻訳に携わったのは70人の学者たちと言われているので、このギリシヤ語の聖書は「七十人訳聖書」と呼ばれ、現代でも聖書解釈の手掛かりとされている。こうして広い範囲で公用語であるギリシヤ語が定まったために、聖書はユダヤ人以外の外国人にも読むことができるようになり、福音が世界に広がる足がかりとなった。
【政治的状況】
・紀元前198年、セレウコス朝シリアがユダを占領し支配下に治めると、ギリシヤの神を崇めるように強要した。紀元前175年にアンティオコス4世=エピファネス(エピファネスは“神の顕現”という意味)による支配が始まると、彼はユダの神殿でゼウスを祭らせ、ユダヤ人たちが汚れたものとする豚肉を捧げさせたと言われている。
・マカバイ戦争
祭司マッティアスと、その息子ユダ・マカバイを始めとする5人の兄弟たちは、セレウコス朝に対してゲリラ戦を展開し、紀元前165年、ついにユダ王国を独立へと導いた。そのためユダ王国は、その後も幾度となく、セレウコス朝からの攻撃を受けた。その戦いの中で、ユダ・マカバイはついに戦死するが、弟たちが指導者を引き継いで、ハスモン朝イスラエルとして独立を果たす(紀元前142年)。反対勢力が起こりながらも、ユダ・マカバイたちハスモン家(マカバイの別名)の人々がイスラエル人たちの支持を受けて国家として独立したのは、人々の心の中にメシア信仰があったからではないかと思われる。イエス様の時代、イスラエルはローマ帝国の支配下にあったので、イエス様が反乱を起こして、イスラエルをひとつにまとめ、やがて世界の王となるのではないかと期待する人々も多くいたことは事実である。
・紀元前63年、共和制ローマがセレウコス朝を倒すと、イスラエルの独立はますます危うくなった。その不安定な状況を狙ったのが、エドム人のヘロデ大王であり、ハスモン朝を倒してしまった。
こうして紀元前40年、イスラエルはヘロデ朝として、ヘロデ大王の支配に下った。ヘロデ大王は、ユダヤ人ではなくエドム人(エサウの子孫。「オバデヤ書」ではエドムの傲慢と滅亡が語られている)だったので、自分が王である事に自信が持てず、猜疑心の塊だったと言われている。ベツレヘムで2歳以下の男の子を殺させた事件(マタイ2:16)が記されているが、それ以前にも兄弟たちを始め、たくさんの人たちを殺している。
こうしてローマの支配の下、イスラエルはエドム人の王によって治められた屈辱的な状況に陥ってしまい、再び救い主を待ち望む心が、ユダヤ人たちの間に広がっていった。旧約聖書に預言されているメシアは、まだ地上に来ていない。メシアがこのイスラエルに送られ、あのユダ・マカバイのように、イスラエルをもう一度独立、解放へと向かわせてくれるに違いない。人々のそのような思いの中で、時代は新しい時代へと動き始めていた。
【宗教的状況】
・サドカイ派
ファリサイ派とともにイエス様の時代のユダヤ教の二大勢力の一つ。祭司と貴族階級の者たちから成りたっていたが、イエス様はその教えに注意しなさいと言われている(マタイ16:1、6、12)。政治的には、ローマの支配者と親しくもあり、一般大衆の支持はなかった。神学的には、モーセ五書のみを神の言葉として認めていた。律法の解釈や生活への実践の面でファリサイ派と対立していた。また復活や天使や霊を否定した(使徒23:8)。サドカイの名前はダビデ時代の大祭司ツァドクの子孫という意味だという説や、「正しい」という言葉に由来するという説がある。
・ファリサイ派
「分離された者」という意味。イエス様の時代にはユダヤ教の中でも最大のグループであり、民衆に大きな影響力を持っていた。律法を守ることに熱心で、特に安息日や断食を強調した。
特に、ヘレニズム文化には抵抗した。教理的には、イエス様や弟子たちは、サドカイ派よりもファリサイ派に近かったとも言える。死者の復活、天使や悪霊の存在を信じ、律法、預言者、諸書の全体(旧約聖書)を神の啓示として信じていた。
イエス様の時代、民衆にとっては、ユダヤ教と言えばファリサイ的ユダヤ教であった。
ファリサイ人の中には、イエス様を支持する人(ニコデモ、ヨハネ3章)もいたが、イエス様に敵対する人が多かった。使徒言行録8章では、ファリサイ派のサウロが教会を迫害するようになる。
・熱心党
ユダヤ人の宗教的政治集団で、ユダ・マカバイを信奉していた。祖先からの宗教的伝統を守る信念に基づき、ローマ帝国による異邦人支配を拒み、メシアの支配を実現するためには武力を行使することをよしとした。イエス様の十二人の使徒のうちにもシモン(シモン・ペテロとは別人)という熱心党員がいた(ルカ6:15、使徒1:14)
【社会的状況】
・ローマによる平和(ラテン語で Pax Romana)
紀元前27年、ローマ帝国のアウグストゥスの即位から、紀元180年の五賢帝時代の終わりまでの200年間、地中海世界に大きな戦争がなく、ローマの支配権のもと平和が実現されたことから、この時代を「ローマの平和」という。また、ローマ帝国の道路建設によって、移動が容易となり、 安全な旅行が可能になった。
・会堂(シナゴーグ)
会堂は、バビロン捕囚の期間に誕生したと考えられる。神殿崩壊後も、ユダヤ教を維持するための方法として生まれた。捕囚から帰還後に会堂が各地に建てられた。会堂は、祈りとトーラーの学びのためのコミュニティセンターとなり、会堂においての活動が継続された。イスラエルの地においてもディアスポラ(離散)の地においても、会堂は神殿での礼拝を補完するものとなった。紀元1世紀には、イスラエルの地には約480の会堂があったとされる。会堂は、その地におけるユダヤ人の生活の中心となった。礼拝、祈り、説教の場であり、冠婚葬祭の場、学校(成人学校、子どものための学校、改宗者のための学校)でもあった。イエス様は諸会堂において福音を伝えられた。そして、会堂はパウロの宣教のための拠点ともなった。
以下の聖書箇所において、会堂での宣教の様子を見ることができる。
*マタイによる福音書 4章 23節
イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。
*使徒言行録 13章 14~15節
パウロとバルナバはペルゲから進んで、ピシディア州のアンティオキアに到着した。そして、安息日に会堂に入って席に着いた。律法と預言者の書が朗読された後、会堂長たちが人をよこして、「兄弟たち、何か会衆のために励ましのお言葉があれば、話してください」と言わせた。
【感想】
・中間時代という名前は以前から聞いたことがあったが、実際にどのような時代だったのかはよくわかっていなかった。特に、政治的状況や宗教的状況は世界史などでも習うことがなかったので、この機会に知ることができてよかった。
・サドカイ派やファリサイ派がどういった派閥なのかを初めて理解することができた。

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