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第1回 「新約聖書の学び」マタイ1~2章

  • 執筆者の写真: 明裕 橘内
    明裕 橘内
  • 16 時間前
  • 読了時間: 6分

先月までは、旧約聖書の聖書研究会として一書ずつ読んできました。

今月からは「新約聖書の学び」として、「マタイによる福音書」から少しずつ読んでいきたいと思っています。新しい発見がありますようにお祈りしています。(橘内玲子)


【マタイによる福音書の特徴】

・最初に系図を示すことによって、旧約聖書と新約聖書の架け橋となっている。

・預言の成就(実現)が示されている。

 【このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。(1章 22節)】

・「神様が私たちと共におられる」ということが、最初の章と最後の言葉に、記されている。

【「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。(1章 23節)】

【 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」( 28章 20節)】


【1章】「神はわれらと共におられる」

1節 イエス・キリストの系図

・イエス様はアブラハムやダビデを祖先に持つ家系に生まれた。

アブラハムは神様に従順であったので、神様はアブラハムとサラにその子孫が偉大な国民となるように約束された(創世記12章1~3、15章1~21節)。

《アブラハムの子孫がイスラエル人と呼ばれた。》

ダビデはイスラエル史上、最も偉大な王と考えられていた(紀元前1000~961年在位)。預言書たちはダビデの子孫からメシア(救い主)が出ると預言した(イザヤ書11章1~5節)

◎しかし、実は、このイエス・キリストの系図は、独特である。

4人の女性の名前が出ている 。少なくとも3人は異邦人であり(バト・シェバ除く)、3人は罪を犯した女性と見なされている。

・タマルは舅ユダによって子をもうけた女性 、ラハブはエリコの町の遊女 、バト・シェバ(ウリヤの妻)はダビデ王と姦淫の罪を犯した女性、ルツはモアブ人でありながら、ユダヤ人のボアズに結婚を求めた。

著者マタイは、ユダヤ人のために書きつつ、異邦人の救いも視野に入れているためであり、

女性を含めて、 いかなる人をも招かれていることを示している

11節 バビロニアへの移住

バビロニア帝国の軍隊がエルサレムを攻撃し征服した(紀元前586年)。バビロニア人はエルサレムの神殿から神聖な宝物を奪い、エルサレムとその周辺に住む多数の人々をバビロン(バビロニアの首都)に強制移住させた。「バビロン捕囚」と言われている。捕囚はバビロンがペルシアに敗北するまで続いたが、その後、ペルシアのキュロス王によって、ユダヤ人たちはエルサレムに帰還することを許された(紀元前538年)。

《イスラエルの民はエルサレム神殿での祭儀を失ったため、律法を重視する「書物の宗教」へと発展することとなった。》

16節 メシア

メシアはヘブライ語(マシアハ)に由来して、油注がれた者という意味。「油を注ぐ」とは頭に油を塗ることで、神様の力がその人に注がれると見なされた。油注がれた者のギリシア語(クリストス)がキリストである。

18節 聖霊

聖霊は神様の霊。新約聖書において、聖霊は慰め主、助け主、弁護者と書かれている。

21節 イエス

イエスはヘブライ語において「主は救う」という意味。

22節 マタイによる福音書の中心的なことが示されている。【このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。】

23節【「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。】は、イザヤ書7章 14節が引用されている。

【それゆえ、わたしの主が御自(おんみずか)ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。(イザヤ書7章 14節)】

25節 【男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。】主の天使が夢に現れて語られたことに従って、ヨセフは生まれてくる男の子をイエスと名付けた。


【2章】メシア預言の実現

1節 ヘロデ王

ローマからユダヤの王に任命され、「ヘロデ大王」と呼ばれた(紀元前37~4年在位)。家系的には純粋なユダヤ人ではなく、エドム人(ヤコブの双子の兄であるエサウの子孫)であった。そのため、ユダヤ人の王の誕生に不安を抱いた(3節)。

1節 占星術の学者たち

天文学に詳しく、星の動きによって運勢を占っていた。

4節 祭司長と律法学者

祭司長はエルサレム神殿に仕える聖職者であり、律法学者は旧約聖書のモーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)を研究し、人々にその教えに従って生活するように主張した。

6節 【『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」】は、ミカ書5章1節を引用している。

【エフラタのベツレヘムよ/お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために/イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。(ミカ書  5章 1節)】

11節 乳香は白い樹液で、この樹液から作られる粉は甘い香りがする貴重な物で祭儀に用いられた。没薬は樹脂で、遺体の防腐剤として用いられた。黄金は王、乳香は神性、没薬は死を示すと考えられる。

15節 【ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。】は ホセア11章1節 を引用している。

【まだ幼かったイスラエルをわたしは愛した。エジプトから彼を呼び出し、わが子とした。(ホセア書 11章 1節)】

18 節 【「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、/慰めてもらおうともしない、/子供たちがもういないから。」】は、エレミヤ31章15節を引用している。

【主はこう言われる。ラマで声が聞こえる/苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む/息子たちはもういないのだから。(エレミヤ書  31章 15節)】

23節 ナザレという町

「ナザレから何か良いものが出るだろうか」(ヨハネによる福音書1:46)と言われた町であった。イエス様はそのようなナザレで成長された。実は「この方はナザレ人と呼ばれる」という預言は旧約聖書にはないが、イエス様はあらゆる人々を救いに導くために、へりくだって貧しい環境で育たれたと考えられる。

【キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、

かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、

へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。(フィリピの信徒への手紙 2章 6節~8節)】


【感想】

・旧約聖書は1つの書を、全体を通して読むことで、俯瞰して捉えられる良さがあったが、新約聖書に入り、章ごとに丁寧に読むと、今まで読み飛ばしてしまっていた部分についても考えるきっかけになり、どちらにも良さがあると実感した。

・マタイの初めに書かれている系図はユダヤ人にとって大切だから書かれているものだと思っていたが、実はその中に異邦人も書かれており、異邦人の救いのためにも書かれているということは初めて知った。

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