今回はエゼキエル書の学びの後半のご紹介です。
【エゼキエルについて】
・主からの召命に際して、イザヤは「私を遣わしてください。」(6:8)、エレミヤは
「わたしは語る言葉を知りません」(1:6)と応答したが、エゼキエルの応答は記載されていない。エゼキエル本人についても、詳しくは記されていない。
「エゼキエル書」では、「主の栄光」や「神殿」については詳しく、幾度も語られている。
・ダニエルはイスラエルにおいて王族または貴族であったが(ダニエル書1:3)、最初の捕囚(BC605年)で、バビロンに行き、バビロンの王に仕えた。
・エゼキエルはその後(BC597年)に捕囚となったので、祭司の家系であったが、二十歳代半ばと推測されているので、神殿での奉仕はまだ行えなかったと考えられる。捕囚の身となって5年目に、召命を受けた。「そのとき天が開かれ、わたしは神の顕現に接した。」(エゼキエル書1:1)。その後、ユダの捕囚の民の指導者たちがエゼキエルのもとに集まって来ている(8:1、14:1、20:1)。エゼキエルは神からの託宣を伝えた。
エゼキエルは、エルサレムの陥落の年に妻を亡くしている(24:18)
【エゼキエル書の内容】
25章~32章 近隣諸国への滅亡の預言
25章
主はエゼキエルに預言するようにと言われた。「アンモン、モアブ、エドム、ペリシテを滅ぼす」
*バビロンの王ネブカドレツァルはユダ王国占領の時、ペリシテをも征服し、後にアンモン、モアブ、エドムに侵入した。
26章1節~28章19節
BC597年、主はエゼキエルに言われた。「ネブカドレツァル(26:7)によって、輸出入が盛んであったので(27:33)、ティルスは高慢になった(28:5)ので滅される」
◎ダニエルより賢く 28:3
「ダニエル書」のダニエルは当時すでに賢者として知られていたので、ティルスの君主はそのダニエルよりも賢い、と皮肉られていると考えらえる。
28章20~26節
主は言われた。「シドンに裁きを行う(22)」
29章~32章
BC588年12月末、主はエゼキエルに預言するようにと言われた。「エジプトは廃墟となる(29:9)」
BC571年3月、主は言われた。「ネブカドレツァルにエジプトの土地を与える(29:19)エジプトの町々は廃墟となる(30:7)」
◎エゼキエル書の中で最も新しい日付の預言
BC586年2月~3月、ファラオとその軍勢は剣で殺された者(エドム、シドンなど)と共に墓に横たわる(32:32)
33章
主はエゼキエルに言われた。「あなたをイスラエルの家の見張りとした(7)。悪人が立ち帰って生きることを主は喜ばれる。イスラエルの家よ、立ち帰れ(11)。」
BC586年12月末、エルサレムから逃れた者が「都は陥落した」とエゼキエルに言った(21)。エゼキエルは「廃墟に残る者たちも剣に倒れる」と預言した。
34章
主は言われた。「イスラエルの牧者(王、祭司や預言者、町の長老)に、群れを飼うことをやめさせる(10)。主が群れの世話をする(11)。わが僕ダビデ(の子孫)が牧者となる(23)。群れと平和の契約を結ぶ。」
35章
主は預言するようにエゼキエルに言われた。「セイル山(別名エドム)は荒れ地となる(15)。」
36章
主は言われた。「イスラエルは初めのときよりも更に栄えさせる(11)。清い水をイスラエルの民に振りかけると、清められる。新しい心を与え、新しい霊を置く(26)。イスラエルの周囲の国々も、主がこの破壊された所を立て直したことを知るようになる(36)。
37章
主の霊がエゼキエルを非常に多くの枯れた骨がある谷に連れ出された。主は言われた。「これらの骨に向かって預言せよ。主が霊を吹き込むと生き返る」
「霊に向かって預言せよ。霊が彼らの中に入り、生き返って自分の足で立った。彼らは非常に大きな集団となった(10)。イスラエルの民を墓から引き上げ、イスラエルの地に連れて行く(12)。」
主は言われた。「南王国ユダと北王国イスラエルは一つの国とする(22)。わたしは、イスラエルの民が犯したすべての背信から救い清める(23)。主の僕ダビデが王となり、牧者となる(24)。
◎ダビデの子孫が王となり、牧者となると、メシア預言がなされた。
38章~39章 終末の裁きの後の回復
主はマゴクの地の首長ゴグに対して、預言して言いなさいと言われた。「イスラエルを攻撃しなさい(38:8)。イスラエルの民は安らかに暮らしている(8、14)。その攻撃は、終わりの日に起こる(16)。」「イスラエルの山で倒れる(39:4)。ゴグのために墓地を与える(11)。」
主はエゼキエルに言われた(17)「国々は、イスラエルの家が不信の行為を行ったために捕囚となったこと、また、敵の手に渡したため、剣に倒れたことを知るようになる(23)。主はイスラエルの繫栄を回復させる(25)。主は二度と御顔を隠すことなく、主の霊をイスラエルの家に注ぐ(29)」
40章
BC573年、主の手によってイスラエルの高い山に連れて行かれた(40:1,2)。輝いている一人の人に、「見聞きしたことを、イスラエルの家に告げなさい」(3、4)
神殿の外壁、外庭の東門、北門、南門、内庭の南門、東門、北門、いけにえがほふられる部屋、歌い手の部屋、神殿の廊を見せられた。
◎40:3 麻縄と測り竿は、建物の平面図を描く時に用いる道具
◎40:16 なつめやしの飾りは、ソロモン王が建てた最初の神殿にも使われた。なつめやしはまっすぐに天に向かって延びる姿から「義人」のたとえにも用いられる。
41章 拝殿に連れて行かれた。その奥が至聖所。脇間の上に脇間があって、神殿は三階建てになっていた。神殿の西側にある別殿、拝殿の内装、聖卓を見せられた。
◎拝殿(1)は幕屋の聖所にあたる場所
◎板張り、木製と繰り返されている(16~)が、この時代も一般の建物は日干しれんがを積んで造られていた。木造の建物は神殿や宮殿だけであった。
42章
神域に面した北側の部屋と南側の部屋は神聖な部屋である。最も神聖な穀物の献げ物、贖罪の献げ物、賠償の献げ物を置いておく(13)。神殿の外壁は東西南北500アンマ(260メートル)(15~20)。
◎穀物の献げ物は、焼き尽くす献げ物や和解の献げ物に添えて献げる小麦粉やパンなど。
◎贖罪の献げ物は、過って律法に背いた者の罪をあがなうために献げられた。
◎賠償の献げ物は、神の所有物に損害を与えた場合に献げられた。
43章
主の栄光は東の門から神殿の中に入った(4)。主の栄光が神殿を満たしていた(5)。
イスラエルの民が悔い改めるのであれば、神殿を施工させなさい(11)。
ツァドクの子孫であるレビ人の祭司だけが神に近づくことができる(19)。
◎イスラエルの民が神から離れた時に聖所の務めを守ったから(44:15)。
44章
祭司の務めとして、民に聖と俗の区別を示し、争いのある時には神の裁きに従って裁く(23,24)。
45章
神殿の周囲に牧草地を、その周囲に祭司の家を建てる場所、これが聖所の聖域でもある。
レビ人の所有地、都の所有地、君主の領地を設ける。
イスラエルの民の献げ物、君主の献げ物(13~17)
聖所の清め、過越祭、仮庵祭を行い、献げ物を行わなければならない(18~25)。
46章
君主の礼拝の仕方(1~15)、君主の相続の規定(16~18)、民のいけにえを煮る場所(19~24)
47章
聖所から水が流れ出て、流域のすべてのものが生き返る(1~12)
イスラエルの相続地の境界線(13~23)
48章
十二部族の相続地(1~29)
各部族の門(30~35)
「この都の名は<主がそこにおられる>と呼ばれる。」と、エゼキエル書は終わっている。
【注目点】
*主から流れる水(聖霊)によって生き返ると、旧約聖書においても福音書においても、また黙示録においても記されている。
・エゼキエル書 47章 9節
川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいになるからである。この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。
・ヨハネによる福音書 7章 38~39節
わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている“霊”について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、“霊”がまだ降っていなかったからである。
・ヨハネの黙示録 22章 1節
天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。
*エゼキエル書37章では、たとえ枯れた骨であっても、よみがえり、非常に大きな集団となったと語られている。(37:10)そして、枯れた骨からの復活を通して、主が語られたことが実現されると知るようになる、と記されている。
・エゼキエル37:12~14
それゆえ、預言して彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。わたしはお前たちの墓を開く。わが民よ、わたしはお前たちを墓から引き上げ、イスラエルの地へ連れて行く。
わたしが墓を開いて、お前たちを墓から引き上げるとき、わが民よ、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。
また、わたしがお前たちの中に霊を吹き込むと、お前たちは生きる。わたしはお前たちを自分の土地に住まわせる。そのとき、お前たちは主であるわたしがこれを語り、行ったことを知るようになる」と主は言われる。
【質疑応答】
①28:3 ここに出てくるダニエルとは、ダニエル書のダニエルのこと?
はい、ダニエル書のダニエルと考えられます。
エゼキエルがバビロンに到着する10年ほど前から、ダニエルはバビロンの宮廷に仕え、知られていた。
②30章で主の裁きの日の事が書かれているが、この当時の人々は、救い主が地上に来られることは知らず、裁きの日が来ることを恐れていたのか?
主に従う者には祝福があり、従わない者には裁きがあるとされていた。
神の御子が十字架で罪を贖ってくださるとは信じられていなかったと考えられる。
③47章以降、各部族の名前や土地の割り当ての範囲など、既にモーセ五書などで書かれていたことと同じことをもう一度書いているように見えるが、なぜ今回改めて書かれているのか?
あるいは、その時とは異なる内容が書かれているのか?
モーセ五書の土地の割り当て(ヨシュア記13~19章)とは異なっている。
47章13~14節で、「イスラエルの十二部族に、土地を平等に割り当てねばならない」と書かれているが、モーセ五書の土地の割り当ては平等ではなかった。
エルサレムが攻撃を受け、捕囚となり、失望していた時に、イスラエルの回復が、主によって、エゼキエルを通して語られたと考えられる。
【感想】
・エゼキエル書の前半は例え話などが多かったが、後半は、淡々と神様からの預言が語られている印象を持った。
・エゼキエル書の中にダニエルが登場していることを初めて知って、とても興味深かった。
・後半で登場する神殿や各部族の相続地の割り当てなど、聖書の言葉だけを読んでいると、具体的なイメージが湧きにくく、読みにくいと感じたが、HPなどで図解されているものと照らし合わせながら読むと、非常に読みやすかった。
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