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  • 執筆者の写真明裕 橘内

青年たちの聖書研究~第25回『エレミヤ書」』編①

今回の内容であるエレミヤ書も長かったので、前半と後半に分けています。今回は前半の内容のご紹介です。


第25回 聖書研究会「エレミヤ書」①

 

【エレミヤ書について】

・エレミヤの時代

南ユダ王国のヨシア王は紀元前628年、偶像礼拝を禁止し(歴代誌下34:3)、神殿修復を行ったところ、紀元前622年には律法の書が発見された。ヨシア王の死後、

エホアハズ王3ヶ月の後、エホヤキム王の時代にバビロン軍の攻撃を受けた。前598年、エホヤキン王の時代に、首都エルサレムがバビロン軍に包囲され、王と指導者たちはバビロンに捕囚として連れ去られた。その後、ゼデキヤが王位に付き、バビロンとの融和政策を試みるが根強い親エジプト派のグループに対抗し切れず、バビロンに反逆する。その結果、エルサレムはバビロン軍の激しい攻撃を受け、前586年、陥落する。神殿は焼かれ、王とその一族は処刑され、ユダの民はバビロンに捕囚となった(列王記下25:1~21)

 

・エレミヤの生涯

アナトテ(エルサレムの北東4km)の祭司ヒルキヤの子。

神様からの預言はヨシア王の時代(紀元前627年)からバビロン捕囚(前586年)まで続いた。神様からの召命を受けるが、若いので(20歳頃)と躊躇したが、神様はエレミヤを励まし続けた。


まずエレミヤが預言するのは「北からの災い」であった。そしてその災いは唯一の神様を離れ、バアル信仰に民が走ったためであるという。エレミヤは民に「悔い改め」をよびかける。エレミヤの災いの預言はバビロニア王国の侵攻とバビロン捕囚という形で現実化する。

ヨシヤ王の子ヨヤキム王の時代、率直過ぎるエレミヤの預言活動は人々の反感を買った。この時代、楽観的な預言を行う職業的預言者の一団がおり、エルサレムの民衆はそちらを支持していた。彼は命の危険を感じるようになる。エレミヤは正しいものが苦しみ、不正を行うものが繁栄する社会の現実に苦悩し、神様にその苦しみをたびたび訴えている。

エレミヤはまた侵略者ネブカドレツァル2世を「神の僕」であるといい、イスラエルの戦火を神の意思であると預言したため、仲間であるはずのユダヤ人たちから激しく攻撃される。

ゼデキヤの時代になると、エレミヤは牢獄につながれるようになる。そのころ起こったネブカドレツァル2世の二度目の侵攻は完全にエルサレムとエルサレム神殿を破壊した。エレミヤはその後も総督ゲダルヤの庇護下にエルサレムで活動を続けるが、紀元前568年にゲダルヤ暗殺とその後の混乱の中で、エジプト逃亡を主張する一団に無理やりエジプトへ連行される。エレミヤは絶望的な状況の中で、未来への希望も語っていた。

エレミヤ書の多くはバルクが口述筆記していたという記述(36章) から、エレミヤの生の言葉をより多く伝えていると考えられている。

 

・エレミヤ書を書き記したバルク(36章)

バルクはエレミヤの口述に従って、主が語られた言葉をすべての巻物に書き記した(4)。この巻物はエホヤキム王によって燃やされてしまった(23)。そこで、バルクは再びエレミヤの口述に従って書き記し、同じような言葉を数多く加えた(32)。

このような事情で、エレミヤ書では、日付のある事件や託宣でさえ、年代順に並べられていない。

 

【エレミヤ書の内容】

2章 8節

祭司たちも尋ねなかった。「主はどこにおられるのか」と。律法を教える人たちはわたしを理解せず/指導者たちはわたしに背き/預言者たちはバアルによって預言し/助けにならぬものの後を追った。

*祭司や預言者や指導者も、助けにならない時代であった。

3章 14節

背信の子らよ、立ち帰れ、と主は言われる。

5章3節

立ち帰ることを拒みました。

5章 19節

「何故、我々の主なる神はこのようなことを我々にされたのか」と言うなら、あなたはこう答えよ。「あなたたちはわたしを捨て、自分の国で異教の神々に仕えた。そのように、自分のものではない国で他国民に仕えねばならない。」

7章 2節

主の神殿の門に立ち、この言葉をもって呼びかけよ。そして、言え。「主を礼拝するために、神殿の門を入って行くユダの人々よ、皆、主の言葉を聞け。」

7章 23節

むしろ、わたしは次のことを彼らに命じた。「わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしはあなたたちの神となり、あなたたちはわたしの民となる。わたしが命じる道にのみ歩むならば、あなたたちは幸いを得る。」

11章 21節

それゆえ、主はこう言われる。アナトトの人々はあなたの命をねらい/「主の名によって預言するな/我々の手にかかって死にたくなければ」と言う。

15章 10節

ああ、わたしは災いだ。わが母よ、どうしてわたしを産んだのか。国中でわたしは争いの絶えぬ男/いさかいの絶えぬ男とされている。

*エレミヤは「涙の預言者」と言われる。

 

 15章 16節

あなたの御言葉が見いだされたとき/わたしはそれをむさぼり食べました。あなたの御言葉は、わたしのものとなり/わたしの心は喜び躍りました。万軍の神、主よ。わたしはあなたの御名をもって/呼ばれている者です。

 

18章 1~6節

主からエレミヤに臨んだ言葉。

18章 2節

「立って、陶工の家に下って行け。そこでわたしの言葉をあなたに聞かせよう。」

6節

「イスラエルの家よ、この陶工がしたように、わたしもお前たちに対してなしえないと言うのか、と主は言われる。見よ、粘土が陶工の手の中にあるように、イスラエルの家よ、お前たちはわたしの手の中にある。

 

 19章 1~4節

主はこう言われる。「行って、陶器師の壺を買い、民の長老と、長老格の祭司を幾人か連れて、

陶片の門を出たところにある、ベン・ヒノムの谷へ出て行き、そこでわたしがあなたに語る言葉を呼ばわって、

言うがいい。ユダの王たち、エルサレムの住民よ、主の言葉を聞け。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。見よ、わたしは災いをこのところにもたらす。それを聞く者は耳鳴りがする。

それは彼らがわたしを捨て、このところを異教の地とし、そこで彼らも彼らの先祖もユダの王たちも知らなかった他の神々に香をたき、このところを無実の人の血で満たしたからである。

 

20章 1~2節

主の神殿の最高監督者である祭司、イメルの子パシュフルは、エレミヤが預言してこれらの言葉を語るのを聞いた。

パシュフルは預言者エレミヤを打たせ、主の家の上のベニヤミン門に拘留した。

 

23章 5節

見よ、このような日が来る、と主は言われる。わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。王は治め、栄え/この国に正義と恵みの業を行う。

*ダビデの子孫として生まれるメシア、キリストのこと。

 

25章 8~9節

それゆえ、万軍の主はこう言われる。お前たちがわたしの言葉に聞き従わなかったので、

見よ、わたしはわたしの僕バビロンの王ネブカドレツァルに命じて、北の諸民族を動員させ、彼らにこの地とその住民、および周囲の民を襲わせ、ことごとく滅ぼし尽くさせる、と主は言われる。そこは人の驚くところ、嘲るところ、とこしえの廃虚となる。

 

 25章 11~12節

この地は全く廃虚となり、人の驚くところとなる。これらの民はバビロンの王に七十年の間仕える。

七十年が終わると、わたしは、バビロンの王とその民、またカルデア人の地をその罪のゆえに罰する、と主は言われる。そして、そこをとこしえに荒れ地とする。

 

 

【注目点】

エレミヤは主の語りかけに従って、麻の帯を買い、岩の裂け目に隠す(13章)、また、陶工の家に行く(16章)、陶器師の壺を買い、主の言葉を語るが、20章では拘留されるなど、苦難も多く、結果を見いだせない。そこがイエス様との類似点であるとも言える。

 

エレミヤの名前が記されているのは、マタイによる福音書の3箇所。

2章 17節

こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。

16章 14節

弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」

 27章 9節

こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。「彼らは銀貨三十枚を取った。それは、値踏みされた者、すなわち、イスラエルの子らが値踏みした者の価である。

 

 【質疑応答】

 ①2:37 「両手を頭に置いて」とはどう意味の仕草か。

恥や悲嘆を表わす仕草。

 

②13:1 「水で洗ってはならない」のはなぜ?

帯を岩の裂け目に隠し、後に帯は腐り、役に立たなくなる見せるため(13:7)だったので、水で洗う必要はないとのこと。

 

③13:12  「かめにぶどう酒満たすべき」なのはなぜか。この行為はどのような意味が込められているのか。

イスラエルのすべての住民を酔わせて、親族関係の衝突などから、滅ぼす(13:13~14、17)との警告を、涙ながらに訴えた。

 

そもそも、なぜ人々は正しい神様ではなく、他の神様を礼拝してしまうのか?

当時のイスラエルの弱小国であったので、他国からの援助が必要だったから、他国の人々を支える神々が魅力的に見えたのか、不思議とも思える。

 

【感想】

・エレミヤ書に書かれている内容は、他の書でも読んだことがある内容も多かったので理解しやすい部分もあったが、書かれている順番が年代順ではなかったため、自分の頭で整理しながら読むところまではできなかった。

・エレミヤ書を読んでいて、同じ預言書のイザヤ書と比較してとても悲しい雰囲気があった。

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