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青年たちの聖書研究~第23回『イザヤ書」①』編

新しい年、2024年が始まりました。今年最初の更新となります。今回は、第23回 聖書研究会 「イザヤ書」①のご紹介です。


【イザヤ書について】

 

旧約聖書は「律法」「歴史書」「詩歌」「預言書」に分かれているが、これまで取り上げた預言者エリヤと預言者エリシャは、聖書の「歴史書」に登場した。

・今回のイザヤは本人が「歴史書」に登場するのではなく、預言書の「イザヤ書」を書いたことによって知られている預言者であり、「記述預言者」と言われる。

・前半1章から39章までがバビロン捕囚前の南ユダ王国に対しての「裁きと警告」の預言。後半40章から66章までがバビロン捕囚となる将来の人々に向けて語られた「希望と回復」の預言である。

イザヤも南ユダ王国の人々に偶像礼拝から唯一の全知全能なる神に立ち返るよう語り続けたが、南ユダ王国の人々は頑なであったので、イザヤは「神に立ち返らないなら裁きが下る」という警告と「しかし、希望もある」という2つが繰り返しなされている。

また、この「希望」のメッセージの中には、将来イエス・キリストが世界の救い主としてこの世に来られるという「メシア(救い主)預言」が多く含まれているのも特徴である。

・新約聖書には、イザヤ書は詩篇に次いで多く引用がされている書巻である。

預言者イザヤは南ユダ王国のウジヤ王、ヨタム王、アハズ王、ヒゼキヤ王の時代に生き(1:1)、王宮に出入りができる高い身分であり、神の聖所で幻を見ている(6章)ことから祭司だったのではという説もある。イザヤは預言者として召命を受け(6章)、女預言者と結婚し(8:3)で、預言的な意味を持つ2人の子どもがいた。長男「シュアル・ヤシュブ」の意味は「残りの者は帰って来る」と、次男「マヘル・シャラル・ハシュ・バズ」(8:3)意味は「分捕りは早く、略奪は速やかに来る」(8:1)アッシリア軍が侵略し、素早く略奪することを示す。

 

【イザヤ書の内容】

 

1章~39章 バビロン捕囚前の南ユダ王国に対しての「裁きと警告」の預言

 

1章~12章:エルサレムへの裁きと警告

ウジヤ王の時代、ユダは繁栄をしていたものの人々の心は神を離れ形だけの礼拝をしていた。1章~12章までは、上辺だけの礼拝をして神に背き続ける人々へ、また、神に頼らず他国の軍事力に頼ろうとする南ユダ王国に対しての裁きと警告が語られている。しかし悔い改める者への回復も語られている。また、2章や4章には、今の時代の終わりである「終末」の預言となるものが盛り込まれています。

特に「終りの日」や「その日」、「主の日」などが「終末」預言のキーワードとなります。また終末に起きることと北イスラエル王国滅亡と南ユダ王国のバビロン捕囚や、周辺諸国への裁きが同時に示唆されている場合もあるようである。

 

 13章~23章:周辺諸国への神の裁き

 「託宣」とは「神がこう言われる」とそのまま告げること。まずはバビロンへの託宣、バビロンという名前は新約聖書のヨハネの黙示録にも神に反逆する大都市として記されている。21章ではペルシャがメディアとともにバビロンを攻め滅ぼすことの預言で、イザヤの預言の200年後に成就する。22章は再びエルサレム(南ユダ王国の首都)の背く人々に対しての託宣。

 

24章~27章:イザヤの黙示録

24章は終末に起こる神の救いのご計画全体に言及していると言われ、25~26章はその幻を見たイザヤの讃歌である。

27章は神が自分の契約の民イスラエルを「見事なぶどう畑」と呼んで繁栄を約束し、神と和解するようにと語られる。また「その日(終末)」にはエルサレムの回復と、そこに正しい人々が集まり神を礼拝することも預言されている。

 

28章~35章:繰り返し語られる警告と回復の約束

預言はここでまたエフライム(北イスラエル王国のこと)と南ユダ王国への警告に戻る。

神はアッシリアがユダを攻撃することを許されるが、それは悔い改めて立ち返らせようとする神の熱情の現れでもある。30章や31章では南ユダ王国が敵国から救われるために、神に頼るべきところを強国エジプトに援助を求めたことを叱責されている。

 

36章~39章:ヒゼキヤ王

 この後、38章では病気になったヒゼキヤ王の神へ祈りと癒やし、また癒やされることへのしるしとして、日時計が10度戻るという奇跡が行われた。39章ではアッシリアの政治的支配から抜け出そうとして、南ユダ王国との同盟関係を模索していたバビロンからの使者へのヒゼキヤ王の対応。この時、王は神の宮の富を自分の富のようにバビロンの使者に隠すことなく全て見せた。この後、ヒゼキヤ王の後を継いだマナセ王は北イスラエルの悪王アハブと同じようにバアル礼拝を行い、神の神殿を異邦の神々で満たして神の前に罪を重ね、その後の王たちも背き続ける。そのことを見越すように、イザヤはヒゼキヤ王に「あなたがバビロンの使者に見せた全ての財宝はやがてバビロンへと持ち去られる」と預言した。これがイザヤの死後、約100年後のBC586年に南ユダ王国に臨んだ「バビロン捕囚」となる。

 

 

【注目点】

*7章14節と9章5~6節、11章は「メシア(救い主)預言」といわれるイエス・キリストについての預言で、新約聖書でも引用されている。

 

7章 14節

それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。

 

9章 5~6節

ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。

ダビデの王座とその王国に権威は増し/平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって/今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。

 

11章 1~2節

エッサイの株からひとつの芽が萌えいで/その根からひとつの若枝が育ち

その上に主の霊がとどまる。知恵と識別の霊/思慮と勇気の霊/主を知り、畏れ敬う霊。

 

*また、「預言者イザヤ」が、新約聖書に数多く引用されている。

 

◎預言者イザヤを通して語られていたことは、イエス様によって、実現された。

「預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。」

(マタイ8章17節、12章17節)

 

◎福音書は、「イザヤ書」で始まり、使徒言行録の最後において、異邦人への伝道という方向性が、「預言者イザヤ」の言葉によって示されいる

「だから、このことを知っていただきたい。この神の救いは異邦人に向けられました。彼らこそ、これに聞き従うのです。」(使徒言行録28章28節)

 

 

【イザヤ書から新約聖書への引用】

マタイによる福音書3章 3節

これは預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声が  する。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」

 ➡イザヤ書 40章 3節

呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、    荒れ地に広い道を通せ。

 

マタイによる福音書4章 14~16節

 それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためである。

   「ゼブルンの地とナフタリの地、/湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、/異邦   

  人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し  

   込んだ。」

  ➡イザヤ書9章 1節

闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。

 

*マタイによる福音書8章 17節

それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。「彼は

 わたしたちの患いを負い、/わたしたちの病を担った。」

  ➡イザヤ書53章 4節

     彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであったの 

     に/わたしたちは思っていた/神の手にかかり、打たれたから/彼は苦しんでい 

     るのだ、と。

 

 *マタイによる福音書/ 12章 17~21節

それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。

「見よ、わたしの選んだ僕。わたしの心に適った愛する者。この僕にわたしの霊を 

授ける。彼は異邦人に正義を知らせる。

彼は争わず、叫ばず、/その声を聞く者は大通りにはいない。

正義を勝利に導くまで、/彼は傷ついた葦を折らず、/くすぶる灯心を消さない。  

異邦人は彼の名に望みをかける。」

 ➡イザヤ書42章 1~4節

見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ/彼は国々の裁きを導き出す。

彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。

傷ついた葦を折ることなく/暗くなってゆく灯心を消すことなく/裁きを導き出して、確かなものとする。

暗くなることも、傷つき果てることもない/この地に裁きを置くときまでは。島々は彼の教えを待ち望む。

 

 マルコによる福音書1章 2~3節

 預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの道を準備させよう。

荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」

  ➡イザヤ書 40章 3節

呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、    荒れ地に広い道を通せ。

 

ルカによる福音書3章 4節

 これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。

 ➡イザヤ書 40章 3節

呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、    荒れ地に広い道を通せ。

 

ルカによる福音書4章17~19節

預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、/主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、/捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」 

 ➡イザヤ書/61章 1~2節

主はわたしに油を注ぎ/主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして/貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み/捕らわれ人には自由を/つながれている人には解放を告知させるために。

主が恵みをお与えになる年/わたしたちの神が報復される日を告知して/嘆いている人々を慰め

 

*ヨハネよる福音書1章 23節

ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」

 ➡イザヤ書 40章 3節

  呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のため    に、荒れ地に広い道を通せ。

 

ヨハネによる福音書12章 38節

預言者イザヤの言葉が実現するためであった。彼はこう言っている。「主よ、だれがわたしたちの知らせを信じましたか。主の御腕は、だれに示されましたか。」

  ➡イザヤ書53章 1節

わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。

 

 * 使徒言行録8章 27~33節

 フィリポはすぐ出かけて行った。折から、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て、

帰る途中であった。彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた。

すると、“霊”がフィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と言った。

フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。

宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。

彼が朗読していた聖書の個所はこれである。「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、/口を開かない。

卑しめられて、その裁きも行われなかった。だれが、その子孫について語れるだろう。彼の命は地上から取り去られるからだ。」

 

イザヤ書 53章 7~9節

苦役を課せられて、かがみ込み/彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように/毛を刈る者の前に物を言わない羊のように/彼は口を開かなかった。

捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか/わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり/命ある者の地から断たれたことを。

彼は不法を働かず/その口に偽りもなかったのに/その墓は神に逆らう者と共にされ/富める者と共に葬られた。

 

使徒言行録28章 25~28節

彼らが互いに意見が一致しないまま、立ち去ろうとしたとき、パウロはひと言次のように言った。「聖霊は、預言者イザヤを通して、実に正しくあなたがたの先祖に、

語られました。『この民のところへ行って言え。あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、/見るには見るが、決して認めない。

この民の心は鈍り、/耳は遠くなり、/目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、/耳で聞くことなく、/心で理解せず、立ち帰らない。わたしは彼らをいやさない。』

だから、このことを知っていただきたい。この神の救いは異邦人に向けられました。彼らこそ、これに聞き従うのです。」

イザヤ書6章 9~10節

主は言われた。「行け、この民に言うがよい/よく聞け、しかし理解するな/よく見よ、しかし悟るな、と。

この民の心をかたくなにし/耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聞くことなく/その心で理解することなく/悔い改めていやされることのないために。」

 

 【質疑応答】

 ①1:22 金滓とは何?

主に銀を溶かして精錬する時に出る不純物のこと。

銀がだめになってしまうことを比ゆ的に示し、

エルサレムにおける上流階級の人々が堕落していることを表している。

 

 ②3:17 額をあらわにするのは、この当時良くないことだった?

この部分は訳が難しく、「プライベートな部分が露わにされる」ぐらいの意味であったかもしれない。

いずれにしても、シオンの娘たちの恐ろしい運命を暗示している。

 

③6:7 口に触れさせることは、その後のセリフを見ると、洗礼か聖餐のようなことと理解すれば良い?

このみことば自体がそれを意図していたわけではないが、現代的な適用と考えれば、「洗礼」に近いでしょうか。

 

④16:1 娘シオン

と、決まり文句のように娘とつくが、なぜ娘なのか。他に息子などの表現がされるものはあるのか。

国や民族が擬人的に女性として描かれる手法。

一説には、人間の弱さや、神様との愛の関係を表す、とも言われることがある。

「国」と訳される「アレツ」という言葉は女性名詞。

 ⑤28:27 いのんどとはなに?

エジプトやシリアで栽培される。種は黒く、香料として用いられる。

 

 ⑥51:3 エデンの園と主の園は別のもの?

「主の園」は「エデンの園」の言い換え表現なので、同じである。

 

【感想】

・半分に分けているとはいえ、ボリュームが多かったが、普段の聖書朗読で読んだ記憶がある箇所や、新約聖書で引用されている箇所も所々にあり、そういう箇所は比較的抵抗なく読むことができた。やはり、初めて読むと難しく感じ、何回か見たり読んだりしたことがあると読みやすく感じるというところで、聖書を繰り返し読むことでより身近なものとして、読みやすくなってくるといいなと思った。

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