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執筆者の写真明裕 橘内

青年たちの聖書研究~第19回『詩編』編~

夕方に、少し涼しい風を感じるようになりました。

今回は、第19回 聖書研究会「詩編」の内容のご紹介です。


【詩編について】


・詩編は賛美歌集であり、祈祷書であると言える。(詩編は歌うために書かれた)

(ルターは詩篇の価値を非常に重く見た。ルターは詩篇を「小聖書」と呼 んだ。

ルターは「祈りをささげる者はすべて詩篇を用いるべきであり、それを暗誦 するほどなじまなければならない」と言っている。)

・詩編には悲しみと喜び、疑いと信頼、復讐心や赦しとなど、人間のありとあらゆる感情が表現されている。

・詩編は数百年の歳月をかけて成立した書物と言える。

 90編には「モーセの詩」、そして数多くの「ダビデの詩」、また、バビロン捕囚後に

 作られたと思われるものもある。

・新約聖書に引用されている旧約文書の中では、詩篇が最も多い。詩編118編1節(恵み深い主に感謝せよ。慈しみはとこしえに。)は新約聖書に6回も引用されている。


【詩編の区分】

1.  第一巻 1~41編  

     冒頭の1、2編を除くと、すべて「ダビデの詩」という表題がついている。

     おそらくまだダビデ王朝が健在だった時代に作られ始めた。


2. 第二巻42~72編

    42~49編は「コラの子の詩」、50編は「アサフの詩」、51~71編は再び「ダビ 

    デの詩」、72編は「ソロモンの詩」

    コラもアサフも、レビ族出身で、聖所での礼拝と音楽を指導する役割に任  

    命された。

3. 第三巻73~89編また

    73~83編は「アサフの詩」、84~88編は「コラの子の詩」、89編は「エタンの

    詩」

    エタンはアサフと並んで詠唱者の代表とされる

4. 第四巻90~106編

    90編は「モーセの詩」。93~99編は、神を「王」としてたたえる歌としてまとま

    っている。


5. 第五巻107~150編 

108~110編は「ダビデの詩」、111~118編は「ハレルヤの歌」、

120~134編は「都に上る歌」、138~145編は「ダビデの詩」、

146~150編は「ハレルヤの歌」


*各5巻に分けられる部分には、それぞれ同じように「アーメン」で終わる節がある。


【注目点】

*シオン

シオンとは要害という意味。エルサレムそれ自体が難攻不落の 堅固な要塞の町であった。

シオ ンは小高い丘であり、エルサレムの南西に位置している。ダビデが幕屋を張り、契約の箱を置いたシオンは、「麗し さのきわみ」(詩篇50:2)と言われ、 神の住まいとして神ご自身が選ばれた場所である(132:13)。神はシオンを 祝福の基としてそこから祝福を注がれた(134:3)。やがて、シオンが神の都 として諸国の民はひとつに集められるときが来る(102:22、23 節)と言われた。


*「都上りの歌」と題された詩篇(120篇~134篇までの15の詩篇)

①「都上りの歌」のという表題の意味としては、「バビロンからエルサレムへの帰還者のために作られ た歌」、「歌の音階が上昇する音調の歌」、あるいは「三大祭の時にエルサレムに上る巡礼 の歌」とも理解されている。しかしいずれも、これらの詩篇にはエルサレム、とりわけ シオンに対する思慕、かつてのダビデの幕屋礼拝において現わされた神の臨在の栄光、 かつての黄金のエルサレムを偲ぶ熱い思いがある。

②「都上りの歌」の背景には、バビロンの捕囚となった神の民がやがてエルサレムに帰還 する喜びが感じられる。



【質疑応答】

①6:4 「いつまでなのでしょう」とは何に対してなのか?

主なる神様の怒りや懲らしめ(6:1)に対して。

詩篇では「なぜ」「いつまで」という言葉が反復される。 「なぜ」「いつまで」は嘆きの表現のであるが、理想的な姿だけ を記しているのではなく、人間のありのままの姿を描いている。しかし、「なぜ」 という嘆きは失望に終わっていない。信頼がその根底に存在する。もし信頼の絆がないとすれば、「なぜ」という問いすら失ってしまっているはずであるから。

②特に前半部分で、貧しい者が正しい裁きをしてもらえるように神様に頼む祈りが多いということは、その時代は公平な裁きがなされないこともあったということ?

ダビデは若くして、預言者 サムエルを通してイスラエルの王として任職の油を注がれた。しかし、それからダビデの苦悩は始まった。サウル王の 嫉妬による執拗な殺意によって、ダビデは 10 余年の間、追跡され、その結果、荒野を さまようことになる。「なぜ」「いつまで」、昼も夜も重くのしかかる問い。 長引く苦難の中で、神が遠くに感じられるような日々の中で、どんな状況の中でも神を 信頼するかどうかの試練のようにもみうけられる。


③12:3「二心」とはどういう意味?

心を二通りに持つこと。

味方・主君に心を寄せているように見せて、実は裏切りそむく心。


④29:1 「神の子らよ」となっているが、なぜ複数形で書かれているのか?

イスラエルの民を示しているので。


⑤40:5 ラハブとは何か?

「海の怪物」と考えられ、天地創造の時に神に打ち負かされたとされている(89:11)。

新改訳聖書では、「高ぶる者」(40:4)と訳されている。


⑥51:9 ヒソプとは何か?

植物、低木で白い花をつける。清めの儀式で水や血を浸し、振りかける道具として使われた(出エジプト記12:22)。ここでは、罪から清くなることを示す象徴的な表現として使われている。


⑦69:29 命の書とは何か?

神に属する者の名前やその行いを記録した巻物があると信じられていた(40:8、87:6)


⑧150の詩編が並んでいるが、この並んでいる順番は意味があるのか?

都に上る歌(120編~134編)やハレルヤ詩編(113編~118編、146編~150編)のようにシリーズになっている詩編もあるが、そのほかに詩編の並び方について明確に説明できるものはないように思われる。詩編の並び方は著者によるのでも、書かれた年代によるものでもないからである。強いて言えば、詩編が5巻に分けられていることであり、それらがモーセ五書に対応している、ということである。すなわち、第一巻(1編~41編)が創世記に対応、第二巻(42編~72編)が出エジプト記に対応、そして第三巻(73編~89編)はレビ記に、第四巻(90編~106編)は民数記、最後の第五巻(107編~150編)が申命記に対応している、と言われている。


⑨詩編の中には、「〜に合わせて」のように音楽として書かれている詩編があるが、現代のエルサレムなどでは、当時の音楽が伝承されているのか?

残念ながら、失われている。

詩編は数百年の歳月をかけて成立した書物と言える。90編の表題は「神の人モーセの詩」と記されてあり、口伝(くでん)伝承として受け継がれているので、楽譜が発案される以前の時代から、様々な地域で受け継がれていることから、現代のエルサレムでは、当時の音楽(旋律)は伝承されていない。歌詞である「詩編」が伝承されていることが奇跡的であり、感謝です。



【感想】

・古くからの詩が口伝もあるなかで、伝承されているのはすごいと思った。

・詩編22編と23編はどちらも有名だが、神様に必死に助けを求める姿と神様がそばにいてくださることで安心する姿とで対照的なイメージがする。今の自分の気持ちは、22編の方が近い気がした。

・アルファベットの詩というのは、頭文字がアルファベットの順になっているというのを知って驚いた。


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