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青年たちの聖書研究~第35回『ミカ書』

執筆者の写真: 明裕 橘内明裕 橘内

【ミカ書について】

・「ミカ」という名前はヘブル語で「誰が神のようであろうか」という意味であるが、疑問文というよりも「イスラエルの神のように力ある神は他にはいない」という感嘆の言葉といえる。神に逆らって不正を行う権力者や国々を裁き、罪を告白して神に立ち帰る人を救うのがイスラエルの神である。

・ミカはモレシェトという小さな田舎町の出身である。モレシェトはエルサレムの南西40kmにあったとされる。ミカはヨタム(紀元前740~736年)、アハズ(紀元前736~716年)、ヒゼキヤ(紀元前716~687年)がユダ王国を治めた時代に預言を行なった。サマリアとエルサレムの指導者を批判し、預言者アモスとホセアの警告を繰り返し語った。サマリアの指導者と住民は他の神々を拝み、貧しい人々を不正に取り扱っているので、神の裁きを受けることになる(ホセア書2:4~15、アモス書5:10~27、ミカ書1:2~7)。この警告は紀元前722~721年にアッシリア軍がイスラエルに攻撃を進め、ついにはサマリアを制圧した時に現実のものとなった。北王国の住人の多くが強制的に連行され、アッシリア帝国の各地に移住させられた。

ミカはエルサレムの指導者に対してもサマリアと同様の罰を受けて苦しむようになると警告した。それは南のユダ王国においても同じような悪行に陥っていたからである。紀元前701年、アッシリア軍によって、多くのユダの町が破壊された。エルサレムは一時的に包囲されたが、ヒゼキヤ王が神に助けを祈り求め、エルサレムは崩壊を免れた(列王記下18:13~19:37)。しかし、紀元前586年には別の強敵バビロニアがエルサレムを攻略し、指導的な地位にあった人々を含む多くの民が捕囚として連行された(列王記下25:1~21)。

・ミカ書の預言では破滅と希望の言葉が交互に書かれている。

・ミカ書はイザヤ書との類似点が多い。相違点としては、イザヤ書は王の近くに仕えた預言者であり、ミカは小さな町の出身の預言者である。


【ミカ書の内容】

*1:1~3:12    イスラエルとユダへの裁き

【1章1節 ユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に、モレシェトの人ミカに臨んだ主の言葉。それは、彼がサマリアとエルサレムについて幻に見たものである。】

紀元前年740年~687年頃に、ユダ南部の小さな町、モレシェト出身のミカにサマリアと

エルサレムについて主は語られた。

【1章 2節 諸国の民よ、皆聞け。大地とそれを満たすもの、耳を傾けよ。主なる神はお前たちに対する証人となられる。主は、その聖なる神殿から来られる。】

主なる神は、民が偶像礼拝を行ったために、全地が苦しむことになるという裁きの言葉を告げられた。預言を語る最初の場面において、神が証人となるのは珍しいことである。

【2章 12節 ヤコブよ、わたしはお前たちすべてを集め/イスラエルの残りの者を呼び寄せる。わたしは彼らを羊のように囲いの中に/群れのように、牧場に導いてひとつにする。彼らは人々と共にざわめく。】

イザヤは自分の息子に「シェアル・ヤシュブ」意味は「残りの者が帰ってくる」という名前をつけた。イザヤの生涯を通じて「残りの者」の重要性が語られている。ミカ書においても同様に、「イスラエルの残りの者を呼び寄せる」とは、困難の多い捕囚時代を生き抜いた神に選ばれた者として、残りの者を呼び集めくださるという希望に満ちた言葉と考えられる。


*4:1~5:14    神の民の希望

*6:1~7:7     神はイスラエルを裁く

*7:8~20     神は罪を告白するものを赦す 

【7章18節 あなたのような神がほかにあろうか/咎を除き、罪を赦される神が。神は御自分の嗣業の民の残りの者に/いつまでも怒りを保たれることはない/神は慈しみを喜ばれるゆえに。】

ミカという名前は「誰が神のようであろうか」という意味。捕囚の苦難を生き抜いた人々は民の罪を赦した神をたたえた。神の慈しみによって赦しを与えられた。


【注目点】 

毎年、クリスマスの前に読まれる聖書の箇所、ベツレヘムで救い主がお生まれになることは、以下の引用であった。ベツレヘムとはヘブル語で「パンの家」という意味。


ミカ書5章 1節

エフラタのベツレヘムよ

お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために

イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。


ルカによる福音書 2章 3節~4節

人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。

ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。


【質疑応答】

①「バビロンにたどり着けばそこで救われる」(4:10)とあるが、バビロンは敵国ではないのか。

敵国であるバビロンではあるが、主の裁きに従って、バビロンまでたどり着けば、新しい生活があり、主が新しい地で守り導かれるとの希望が語られていると考えられる。


【感想】

・ミカ書は他の小預言書と比べると、クリスマスによく読まれることもあり、馴染みがあった。

しかし、「ミカ」という短い名前の中に「誰が神のようであろうか」という意味があるというのは今回初めて知った。

・5章1節で、「お前の中から、わたしのためにイスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。」と書かれている。これから出る「治める者」が、出生は永遠の昔にさかのぼるというのは不思議な気がするが、三位一体のことを説明しているのではと考えた。

 
 
 

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