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「新約聖書の学び」第5回 マタイによる福音書6章

  • 執筆者の写真: 明裕 橘内
    明裕 橘内
  • 3 日前
  • 読了時間: 8分

今月は、新約聖書の学びの第5回目、マタイによる福音書6章の学びをお届けします(担当:橘内玲子牧師)。


【マタイによる福音書6章】

・マタイ5章~7章は、山上の垂訓として有名である。

5章を振り返ってみると、

・イエス様をメシアとして信じた人は、「神の義」を手に入れている。 この世の基準からではなく、神の目から見た8つの「幸い」が、1~11節に記されている。

・ この時代のイスラエルの人たちは「神の国に入るための義(正しさ)とは何か」を追求していた。 イエス様は語られた。

【5:20 言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」】

・「救い」、 つまり信仰により恵みによって救われるのだが、イエス様の十字架の以前の段階では、イエス様をメシアとして信じることに「救い」を見出した。これこそが、「ファリサイ人の義にまさる義」 と考えられる。神様への信仰とは、自分の無力を認め、神様の憐れみにより頼むことである。イエス様の弟子たちは、律法主義とは別の道筋(イエス様の十字架)を通って、天の国に入ることへと導かれた。

そして、 5章は以下の言葉で終わっている。

【5:48 だから、天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。】

神の子とされた者は、「完全」な愛を持つ者(イエス様を通して完全な愛を神様から受け取っている者)へと成長させていただけることに期待していきたい。


☆【マタイによる福音書6章】の概観

・施し、祈り、断食は、ファリサイ人たちが特に善行と考えていた行為であった。

・神様は、私たちの行動だけではなく、心(動機)をご覧になる。

・ 祈りは、父なる神様への信頼の表明であると考えられる。

  【あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。】(6:8)


「施しをするときには」(1~4節)

【見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。】(6:1)

【そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。】(6:4)


「祈るときには」(5~15節)

【だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。】(6:6)

☆【あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。】(6:8)

  父なる神様は、まだ私たちが気付いていない時に、試練を通して、必要な訓練を与えられる場合もあるので、必要なものとは、私たちにとって、うれしい出来事ばかりではない。


【だから、こう祈りなさい。】(6:9)と教えてくださった祈りが、「主の祈り」と呼ばれて、礼拝や祈祷会においても用いられている。

・ルカによる福音書11:1~4においては、弟子の一人が「わたしたちにも祈りを教えてください」と言ったことの答えになって、イエス様は以下の祈りを教えられた。

【そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。

『父よ、/御名が崇められますように。御国が来ますように。

わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。

わたしたちの罪を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」】(ルカによる福音書11:2~4)

・「主の祈り」は共同体としての祈りである。「わたしたち」(6:11~13)とあるので。

  ちなみに、「使徒信条」の主語は「私」。

・キリストを通して、御霊によって、天の父なる神に祈っている。


【『天におられるわたしたちの父よ、/御名があがめられますように。】(6:9)

・神様がわたしたちのまことの父であり、わたしたちが神のまことの子であることを信じ、愛する子どもたちが、その愛する父に求めるように、全き信頼と安心とをもって神様に祈り求めるための呼びかけで始まっている。

・「『御名があがめられますように』は、神様のお名前はもちろんそれ自身聖なるものですが、わたしたちはこの祈りによってわたしたちの間においても、これが聖なるものであるように祈るのです。それは神のことばが、正しく、純粋に教えられ、またわたしたちが神の子として、みことばに従ってきよく生活する時に、実現します。天にいます愛する父よ、このためにわたしたちを助けてください。」(マルティン・ルター著「小教理問答書」から引用)

・神様の偉大さがほめたたえられることが、最初の祈りとなっている。


【御国が来ますように。御心が行われますように、/天におけるように地の上にも。】(6:10) そして、神の国の前進、広がりが祈り求められている。

・「御国は天の父がわたしたちに聖霊を与えて、わたしたちが、神の恵みによって、聖なるみことばを信じ、この世においても、永遠の世においても、信仰ある生活をするときに、実現します。」(マルティン・ルター著「小教理問答書」から引用)

・「神のみこころは、わたしたちの祈りがなくても、たしかに実現するのです。しかしわたしたちはこの祈りにおいて、みこころがわたしたちのところでもまた実現するように祈るのです。」(マルティン・ルター著「小教理問答書」から引用)


【わたしたちに必要な糧を今日与えてください。】(6:11)

・「神様は、日ごとの食物を、わたしたちの祈りがなくても、すべての悪人にさえ与えてくださいます。しかしわたしたちはこの祈りにおいて、神がこのことを知らせ、感謝をもって日ごとの食物を受けるようにしてくださることを祈るのです。必要な糧とは、肉体の栄養や、生活になくてはならないすべてのものです。たとえば、食物と飲み物、衣服、家、畑、財産、信仰深い両親、信仰深い子ども、信仰深く信頼できる統治者、良い政府、良い気候、平和、健康、教育、名誉、また良い友だち、信頼できる隣人などです。」(マルティン・ルター著「小教理問答書」から引用)


【わたしたちの負い目を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/赦しましたように。】(6:12)  

*負い目とは、罪を示す。

・「わたしたちはこの祈りにおいて、天の父がわたしたちの罪に目をとめられないように、またこの罪のゆえに、このような願いを拒まれないように願うのです。というのはわたしたちは、祈るといっても、それにふさわしいなんの値打ちもなく、功績もないからです。むしろ神が恵みによってすべてのものをわたしたちに与えようとなさったのです。なぜなら、わたしたちは日々多くの罪を犯し、まことに罰に値いするのみだからです。このようにわたしたちとしてもまた、わたしたちに罪を犯す者を、心からゆるし、喜んで親切にしたいものです。」(マルティン・ルター著「小教理問答書」から引用)


【わたしたちを誘惑に遭わせず、/悪い者から救ってください。』】(6:13)

・「わたしたちはこの祈りにおいて、神様がわたしたちを助け守って、悪魔やこの世やわたしたちの肉が、わたしたちをあざむいたり、また間違った信仰や絶望や、またはその他の大きな咎や罪悪におちいらせないようにしてくださることを、また、たとえわたしたちがこころみにあっても、わたしたちが最後にはこれに打ち勝ち、勝利を得ることができるようにしてくださることを祈るのです。」(マルティン・ルター著「小教理問答書」から引用)


【もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。

しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。】(6:14~15)

* 他人の罪を赦すことが、自分の罪が赦される条件であると語られているが、実際はイエス様が、他人の罪を赦せない私たちの罪の罰の身代わりとなって、十字架にかかってくださった。


「断食するときには」(16~18節)

【それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」】(6:18)

*イエス様の時代においては、断食をしていることが信仰深さを示していたので、人々に見せるためではなく、父なる神様の関係において、断食することの重要性を示された。


「天に宝を積みなさい」(19~23節)

【富は、天に積みなさい。】(6:20)  

 *献金をするということは、天に宝を積んでいることになる。

【あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。 】(6:21)

 *お金を何のために使っているのか。また時間を何のために使っているのか。

  自分にとっての優先順位を知ることができる。


「神と富」(24節)

【あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。】(6:24)


「思い悩むな」(25~34節)

【あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。

何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。

そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。

だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。

その日の苦労は、その日だけで十分である。」(6:32~34)】

・必要以上に思い悩むことは、天の父なる神様に信頼していないことになってしまう。

・神様に与えられているもの(人や物や環境など)に、感謝をしていく時に、与えられていることの大きさに気づいて、神様をあがめて、感謝を重ねていく信仰生活を歩みたいものです!


【感想】

・6章8節の「あなたがたに必要なもの」というのが、神様から見て必要なものであるので、必ずしも自分にとって嬉しいものではなく、苦しいものかもしれないというのは新しい視点だった。

・主の祈りは、教会学校で小学生の時から言っていたが、細かく読むと、祈りの1文1文に思いが込められていて、そのような意味については洗礼の学びでも学んだが、しばらく経ってまたこのような機会に再確認出来たのはよかった。


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