「新約聖書の学び」第6回 マタイによる福音書7章
- 明裕 橘内
- 3 時間前
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今月は、新約聖書の学びの第6回目、マタイによる福音書7章の学びをお届けします(担当:橘内玲子牧師)。
・マタイによる福音書5~7章は、山上の垂訓と言われて有名であり、並行箇所として、ルカによる福音書6章20~49節があげられる。
・ 口伝律法(先祖たちの言い伝え)を否定し、正しい律法解釈を示している。
・イエス様の義が律法学者やファリサイ派の義にまさっていたので、信じる私たちは天の国に入れていただける。
・イエス様は厳しい警告を語られているが、律法を完全に実行できない私たちのために、イエス様は十字架にかかって、私たちの罪の罰を身代わりに受けてくださったので、私たちは神様の裁きから救われていることに、感謝を重ねていきたい。
「人を裁くな」(1~6節)
・当時の律法学者は、律法の義を実践するようにと強要していたので、イエス様は人々を裁くことをしないようにと教えられた。自分の欠点は見えにくく、他人の欠点は大きく見えてしまう。
・ユダヤ人は、異邦人や神を信じない者また信仰を失ってしまった者を、豚や犬と呼んでいた。「神聖なもの」や「真珠」は神様の教えを示している。神様の教えを語ったとしても、相手によっては攻撃を受けることがあることを示している。
「求めなさい」(7~12節)
・祈り求め続けなさい、そうすれば、道が開かれていく。神様に求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者は開かれると信じて、祈り続けていきたい。
・天の父なる神様は求める者には良い物をくださるにちがいないという信頼が大切である。
・「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である」(12)の「律法と預言者」は旧約聖書を示している。
「狭い門」(13~14節)
・「広い道」とは、口伝律法による救いの方法を示している。ユダヤ人は全員、天の御国に入れると教えられていた。しかし、それは、滅びに至る門であり、滅びに至る道である。
・「狭い門」、「狭い道」とは、イエス様が教える救いの方法。
「実によって木を知る」(15~20節)
・偽預言者を警戒しなさい。悪い木は悪い実(結果)を結ぶので、その実で偽預言者を見分けられる。19節では「良い実を結ばない木はみな切り倒されて火に投げ込まれる」と書かれているが、実際は、良い実を結ぶことができない私たちのために、イエス様は十字架にかかって、私たちの罪の罰を身代わりに受けてくださったので、切り倒されて火に投げ込まれることがない。
「あなたたちのことは知らない」(21~23節)
・21節では「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。」と書かれているが、実際は、神様の御心を完全には行えない私たちのために、イエス様は十字架にかかって、私たちの罪の罰を身代わりに受けてくださったので、天の国に入れていただける。
「家と土台」(24~29節)
・イエス様のことばを聞いて、それを実行する人は賢い人であり、 試練が襲ってきても、倒れることはないと、語られている。
・28~29節「イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。
律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。」という言葉で、山上の垂訓と言われている箇所が締めくくられている。人々を裁き、偽預言者のように語っていた律法学者とは違い、神様からの権威をいただいているお方としてお語りになったイエス様に、群衆はたいへん驚いた。律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていた。
5章20節において「あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」と語られているが、イエス様の正しさが律法学者やファリサイ派の義にまさっていたので、信じる私たちは天の国に入れていただける。
・イエス様が権威ある者として教えられたことに、群衆は非常に驚いたと言う言葉で、山上の垂訓は閉じられている。
【感想】
・神様に単に祈るのではなく、祈り「続けて」いくのが重要なことなんだと感じた。
・イエス様が語られる様子を、「律法学者のようにではなく、権威ある者として」と書かれていて、当時の世間一般には律法学者も権威がある人たちだとみなされていたと思うが、聖書では神様の教えからみて、律法学者を「権威がないにもかかわらず語っている人たち」として表現することで、イエス様の正しさがより際立っていると感じた。




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