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青年たちの聖書研究~第34回『ヨナ書』

執筆者の写真: 明裕 橘内明裕 橘内

【ヨナ書について】

・ヨナ書は、「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる」(3:4)という預言のみであり、巨大な魚に飲み込まれる(2章)、木が一日で丈が高くなり翌日には枯れてしまう(4章)など、奇想天外な物語が語られていると感じさせる。しかし、あらゆる民に主の救いが必要であることが語られている、貴重な書である。(自分たちの命を狙う人々さえ、救われる必要があるのかという問いかけが秘められている)

・ヨナ書は、捕囚期前の預言書のひとつであり、著者はヨナである。

・ヨナとは、「鳩」という意味である。

【ホセア書7章 11節】

「エフライムは鳩のようだ。愚かで、悟りがない。エジプトに助けを求め/あるいは、アッシリアに頼って行く。」と書かれているので、ヨナは鳩のように、愚かで、悟りがない人物と考えられる。主からの召命に背を向けた唯一の預言者であるから。

・ヨナは、アッシリアの首都ニネベで悔い改めのメッセージを語ることに抵抗した。ヨナは主に従順な預言者ではなく、イスラエルの民だけが祝福を受けることを願い、強敵であるアッシリアは滅ぼされるべきであると考えていた。当時のイスラエルの民の心情を反映させていると考えられる。それに対して、ヨナ書は以下の主の言葉で締めくくられている。

【ヨナ4:11】

それならば、どうしてわたし(主)が、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」

・時代背景として、ヨナの時代はヤロブアム王が長期に渡って王位にあり(紀元前783~743年)、権勢をふるったが、偶像礼拝からは離れられなかった。

【列王記下 14:23~24】

ユダの王、ヨアシュの子アマツヤの治世第十五年に、イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアムがサマリアで王となり、四十一年間王位にあった。彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を全く離れなかった。

・ヨナは、ガリラヤ中央部に位置するゼブルン地方のガテ・ヘフェル(ナザレから5km程)出身であり、父はアミタイ、「真理」という意味である。

【列王記下14:25】

しかし、イスラエルの神、主が、ガト・ヘフェル出身のその僕、預言者、アミタイの子ヨナを通して告げられた言葉のとおり、彼はレボ・ハマトからアラバの海までイスラエルの領域を回復した。

・ヨナ書1:1で主の言葉が語られるよりも前から、ヨナはすでに預言者として活躍していた。

・ヤロブアム2世の時代に、ダビデ王やソロモン王の時代のように領土を拡大したが、それは主のイスラエルの民に対する憐れみの表れである。

【列王記下14:26~27】

主は、イスラエルの苦しみが非常に激しいことを御覧になったからである。つながれている者も解き放たれている者もいなくなり、イスラエルを助ける者もいなかった。

しかし、主はイスラエルの名を天の下から消し去ろうとは言われず、ヨアシュの子ヤロブアムによって彼らを救われたのである。

・ヨナの預言が成就し、北王国イスラエルはダビデ王やソロモン王の時代のように繫栄をした。しかし、ほぼ同じ時代(紀元前8世紀)に、アモスとホセアは、北王国イスラエルの不信仰が裁かれ、北王国イスラエルはアッシリヤによって滅ぼされると預言していた。預言の通り、紀元前722年、北王国イスラエルはアッシリアに滅ぼされてしまった。


【ヨナ書の内容】

1章 ニネベへの預言からの逃亡(ヨナの不従順と船乗りたちの従順の対比)

主はアッシリアの首都ニネベに行くようにとヨナに語られたが、ヨナはタルシシュ(スペインの南部)へ逃れようと船に乗った。海は大荒れとなったが、ヨナが海にほうり込まれると、海は静まった。

2章 ヨナの祈りから救いへ

主は巨大な魚に命じて、ヨナを呑み込ませられたので、ヨナは三日間魚の腹の中にいた。ヨナは主に祈った。「苦難の中で主に叫び求めると、主は助けてくださった。滅びの穴から引き上げてくださった。救いは、主にこそある。」主が命じられると、魚はヨナを陸地に吐き出した。

3章 ニネベの人々の悔い改め(思い直される主)

主は再びヨナに、ニネベに行くように命じられた。ヨナはすぐにニネベに行き、「あと四十日すれば、ニネベは滅びる」と叫んだ。するとニネベの人々は神を信じ、悔い改めた。王と大臣たちは「神に祈願せよ。悪の道から離れよ。そうすれば滅びから免れるかもしれない」と命じた。主は人々が悪の道から離れたことをご覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた。

4章 ヨナの不満と主の憐れみ

ヨナは主に訴えた。「あなたは恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です。主よどうか今、わたしの命を取ってください。」主は「お前は怒るが、それは正しいことか。」と問いかけられた。そこで、ヨナはニネベを出て、ニネベに何が起こるかを見届けようとした。すると、主はヨナの苦痛を救うため、とうごまの木にヨナの頭の上に影を作るように命じられた。ヨナの不満は消え、とうごまの木をたいへん喜んだ。ところが翌日、主は虫に命じて、木を枯れさせてしまった。ヨナはぐったりとなり、死ぬことを願った。主は「お前はとうごまの木のことで怒るが、それは正しいことか。」と問いかけられた。「怒りのままに死にたいくらいです。」とヨナは答えた。すると、主はこう言われた。「お前はとうごまの木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の人間と無数の家畜がいるのだから。」


【注目点】

*預言者ヨナのしるし(証拠としての奇跡)の他には、しるしは与えられないと、イエス・キリストはヨナに言及している。そして、ヨナが三日間大魚の中にいたことと同様に、十字架から復活まで三日間と語られている。

ヨナに対する言及(マタ12:41、ルカ11:32)

【マタイによる福音書 12:38~41】

すると、何人かの律法学者とファリサイ派の人々がイエスに、「先生、しるしを見せてください」と言った。

イエスはお答えになった。「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。

つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。

ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここに、ヨナにまさるものがある。



【質疑応答】

①ヨナ1:7 くじをひく行為は占いにはならないのか?

(当時の律法では禁止されていなかったのか)

旧約聖書において、くじを引くことは神の意志を見いだすために行われていました。

イスラエルの民も異教徒も、くじを引く行為は、宗教を越えて、行われていたと考えられます。


②ヨナ4:5 神様が災いをくだすのをやめた後に、ヨナは何が起こると思ったのだろうか?その時点でもまだ、ニネベが滅ぶのではないかと思って(期待して)いたのか?


ヨナは強敵アッシリアの首都であるニネベが滅ぶことを期待していたと考えられます。少しのちの預言者ホセアとアモスは、北王イスラエルはアッシリヤによって滅ぼされると預言していましたから。強敵アッシリアが滅ばされて、北王国イスラエルが守られることを期待していたヨナに対して、4:11では「大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか」と、主は言われています。そして、この問いかけの言葉で「ヨナ書」は終わっています。偶像礼拝を行っている民は滅ぼされるべきであると言われてきた主ですが、たとえ異邦人であっても、悔い改めて偶像礼拝から離れ、主を礼拝する民に対しては、憐れみを与えてくださることを終わりの言葉としているので、旧約聖書において貴重な書と考えられます。旧約聖書に記されていたイスラエルの民の救いが、イエス・キリストの出現によって全人類の救いへと波及していきますが、「ヨナ書」の終わりの言葉はこの波及を予め示していると考えられます。預言者ヨナの不忠実な言動が数々語られていますが、その不従順さを通して、対比として、あらゆる民に対する主の忠実さが明らかにされています。それは福音書の描き方に類似していると思われます。主に忠実なイエス様と不忠実な弟子たちの描写に影響を及ぼしているのではないかと思っています。


【感想】

・ヨナの物語は小学校の時から学んできたが、そのストーリーだけでなく、ヨナ自身に焦点を当てて読む良い機会となった。

・新約聖書に出てくるヨナのしるしがどういうことなのかを理解することができた気がする。

・ヨナに憐れみをもって接してくださる優しい神様は、旧約聖書で読んできた今までの厳しい神様のイメージとは違ったものだった。

 
 
 

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