相変わらず暑い日が続いております。
今回は、第18回 聖書研究会 「ヨブ記」の内容のご紹介です。
【ヨブ記について】
・ヨブ記は、「詩書」または「知恵の書」と呼ばれている一群の書の最初で、その他に詩編、箴言、コへレトの言葉、雅歌と続いていく。
「主を畏れ敬うこと、それが知恵
悪を遠ざけること、それが分別」 (28:28)
・「詩書」では、様々な種類のパラレリズムが用いられている。パラレリズムとは全体に一定のパターンを与える目的で、同じ言葉や類似の言葉を並べて、対称・強調させる技法。
・ヨブ記は、人間の苦難の原因、そして、神がその苦難にどのように関わって下さるかという問題に取り組んでいる。
「忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。」(ヤコブ5:11)。
・ヨブ記の背景とする時代は、かなり古い時代と考えられる。ヨブが息子たちのためにいけにえをささげているので(1:5)、祭司が存在する以前の時代、つまりモーセの時代以前と考えられる。
・ヨブの友人たちの発言は、応報の考え方であり、徐々に論争が激化していく。ヨブの三人の友人は、ヨブのように正しく語っていないと神に指摘される(42:7)。
・ヨブ記には素晴らしい詩的な文章表現が散りばめられている。
【ヨブ記のあらすじ】
1. 物語の始まり
【散 文 】
1:1~ ヨブの紹介
1:6~ 一回目の試練
2:1~ 二回目の試練
2. ヨブとの三人の友との議論 (その一)
【詩文 】
3:1~ ヨブの嘆き、 生まれたことへの後悔
8:1~ ビルダド ヨブの子どもたちが過ちを犯したからこそ
9:1~ ヨブ 身に覚えがないが、相手が神ならばしかたがない
11:1~ ツォファル 神は全知全能なので、反抗をやめて、すがりなさい
12:1~ ヨブ 教えるつもりの友への皮肉
3. ヨブとの三人の友との議論 (その二)
15:1~ エリファズ ヨブは神にも人にも傲慢だ
16:1~ ヨブ 神が理由も示さず私の敵となっている
18:1~ ビルダド まだ逆らうのか、反抗者の運命は束の間だ
19:1~ ヨブ いや現実はその反対で、悪人が栄えている
4. ヨブとの三人の友との議論 (その三)
22:1~ エリファズ 悪を罰するのは神のためではく、人のためだ
23:1~ ヨブ 悪人は滅びない。神と論じれば決着がつくが、反応がない
25:1~ ビルダド 神の前に虫けらのような人間が正しいはずはない
26:1~ ヨブ 神は御力をもって海を制し、神の力強さは計り知れない
5. ヨブの独白
27:1~ ヨブは死に至るまで潔白であると主張する
ヨブは「わたしの言うことを聞いてください」と神に切望する
6. エリフの論述
32:1~ 三人の友の沈黙、そしてエリフは、「若いが、もう遠慮はできない」
完全な知識を持つ神が驚く御業を果たされることを、ヨブは理解していない
7. 主とヨブとの対話
38:1 主は嵐の中からヨブに答えられた
42:1~6 ヨブは悔い改めますと言った
【 散 文 】
8. 物語の結末 42:7~16
ヨブは友のためにとりなしの祈りをし、ヨブの財産は倍増され、、再び七人の息子と三人の娘が与えられ、長寿であった。
【注目点】
「わたしは知っている
わたしを贖う方は生きておられ
ついには塵の上に立たれるであろう。」 (19:25)
塵の上に立つとは、贖う方がヨブの弁護のために傍らに立つという意味。
*ヨブはイエス・キリストの出現を切望していると考えられる
「苦痛に責められて横たわる人(33:19)があれば、神は執り成し(23)、救い出し(28)、命の光に輝かせてくださる(30)」
*ヨブの物語の結末は、財産が倍増され、再び七人の息子と三人の娘が与えられ、長寿であった。ヨブの娘は国中で最も美しく、父の財産の分け前を受けた(42:15)が、当時としては珍しいことであった。娘たちへの言及で終わるのは興味深い。
①1:6のあたりを読むと、サタンは神の使いのように読めるが、サタンは悪魔ではないのか?
サタンはヘブライ語で「訴える者」「敵対する者」を意味する。ヨブ記におけるサタンは神に敵対する存在ではなく、神の僕の一人として描かれている。
②3:8 レビヤタンとはなに?
神に敵対する存在であり、ヨブ記におけるレビヤタンは特別な力を持つ怪物、あるいはワニのような生き物として描かれている(40:25)。
③11:6 「二重の効果」とはなに?
神からの知恵を二倍にして下さればと、強調している。
④24:1 「神の日」とはいつのこと?
神の裁きの日であるが、それがいつなのかは、神様以外には誰にもわからない(マタイ24:36)。
⑤全体を通して、度々出てくる「陰府」とは、いわゆる悪人が死後に行くとされる「地獄」とは別のもの?
「陰府」とは、地下の死者の世界。古い時代に書かれているので、死後に裁きを受けて、天国か、または地獄に行くという概念が明確ではないと考えられる。
⑥42章で主が、最後にヨブの財産や家族を元に戻す以上に与え、祝福したのは、ヨブが主に抗議したことを悔い改めたから?あるいは、反論していた友のためにとりなしの祈りをしたから?
両方と考えられる。
1:1にあるように、ヨブは正しい人で、神を畏れ敬い、悪を避けて生きていたので、おのずと祝福されていた。
「わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」(1:9)と言っていたヨブであるから、元来、祝福されて幸福だったと考えられる。
【感想】
・ヨブ記は友人とヨブが議論している場面は教会学校などでもよく見たことがあったが、今回ヨブ記を通して読むことで、詩的な部分もあることを初めて知った。
・自分がヨブが置かれた状況と同じ状況になったときに、ヨブのように「不幸も頂こうではないか」とはなかなか言える自信はない。ヨブの信仰がいかに純粋なものなのかがよく分かった。
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