暑い毎日が続いていますが、お変わりないでしょうか。今月は、1月に開催した第17回聖書研究会「エステル記」の内容のご紹介です!
【エステル記について】
・エステル記は、ユダヤ人を絶滅の危機から救った女性の物語である。
・エステル記は、現代もユダヤ人によって行われているプリムの祭りの由来の物語である。この祭りはエルサレムに集まって祝う三大祭り(過越祭、除酵祭、仮庵祭)とは違い、ユダヤ全土で行われた。
・エステル記は、歴代誌に続く歴史書の最後となるが、年代順ではない。
紀元前538年 第1回 帰還
紀元前516年 神殿完成
紀元前479年 エステル王妃になる (エステル2:17)
紀元前473年 プリムの祭 (エステル9:20~32)
紀元前458年 エズラの帰還
紀元前445年 ネヘミヤの帰還
・エズラ記とネヘミヤ記はバビロンからの帰還、神殿や城壁の再建、イスラエル民族の信仰生活の復興に関する物語であり、紀元前538年~、約100年間にわたる。イスラエル民族による宗教共同体が形成されていくが、その過程で祭司エズラと総督ネヘミヤが重要な働きをした。
・実際はエルサレムに帰還した人々もいたが、ペルシアに残った人々が多かった。
(ペルシアでは、皆が奴隷として扱われて不満を持っている訳ではなかった。)
・エステル記は、エズラの帰還とネヘミヤ帰還よりも前の時代の出来事であるので、エステルの活躍がなければ、エルサレムの再建はなく、イスラエル民族は存続しなかった。
・神の御名は書き記されていないが、神のご計画を見ることができる
「神」や「主」という言葉が記されていない。
【エステル記のあらすじ】
1章 クセルクセス王は127州の支配者であった。王は180日間の酒宴を行った。王妃ワシュティの美しさを列席者に見せようとしたが、この王の命令は拒まれ、王は怒りに燃え、王妃の位をより優れた他の女に与えると、すべて州に勅書を送った。
2章 ユダヤ人捕囚民モルデカイは、エステルに両親がいないので娘として引き取っ
ていた。エステルは姿も顔立ちも美しかった。エステルは王宮に連れて来られたが、
モルデカイに命じられていたので、自分が属する民族と親元を明かさなかった(10)。
王はエステルを王妃とし、盛大な酒宴を催した。その頃、モルデカイは王の私室の番
人である二人が王を倒そうとしていた。それを知ったモルデカイはエステルに知らせ
た。この二人が処刑されるという事件があり、宮廷日誌に記入された(22)。
3章 その後、王はアガグ人ハマンを引き立て、同僚の大臣のだれよりも高い地位につけた(1)。王宮の門にいる役人は皆、ハマンに敬礼したが、モルデカイはひざまず
かず、敬礼しなかった(2)。ハマンはモルデカイがひざまずいて敬礼しないのを見て腹を立てていたので(5)、ユダヤ人を皆、滅ぼそうとした(6)。約1年後にユダヤ人を絶滅するとの勅書が全州に交付された。
4章 「この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか。」(14)とモルデカイはエステルに伝言した。エステルは「スサにいるすべてのユダヤ人に私のために三日間断食してください。私も断食します。」と伝言した。そして、死ぬ覚悟で王のもとに向かう決心をした(16)。※スサは首都のような場所
5章 それから三日目、エステルは王とハマンを酒宴に招待した(5)。「明日も酒宴をしますので、ハマンと一緒にお出ましください。」と王に伝えた。ハマンは上機嫌で酒宴の招待を喜んだが、ユダヤ人モルデカイを見るたびに心がむなしくなると友達や家族に言った。妻は「明朝、モルデカイを50アンマ(22メートル程)の高い柱につるすように、王に進言してはいかがですか。」と言い、その言葉通り、柱を立てさせた。
6章 その夜、王は宮廷日誌からモルデカイの貢献を思い出した。ハマンがモルデカイに王のお召しになる服や馬に乗せ、都の広場で「王が栄誉を与えることを望む者」であると、触れ回った。帰宅すると、妻に「あなたはその前でただ落ちぶれるだけです。」と言われた(13)。
7章 王とハマンはエステルの酒宴にやって来た。ユダヤ人が絶滅させられそうにな
っているのでお助けていただきたいと、エステルは王に願った。モルデカイをつるそう
とした50アンマの高さの柱に、ハマンをつるすようにと、王は命じた(9)。
8章 その日王はハマンの家をエステルに与えた。エステルはモルデカイとの間柄を
王に知らせた。王はハマンから取り返した指輪をモルデカイに与えた。エステルはデ
モルデカイをハマンの家の管理人とした(1~2)。国中のユダヤ人を絶滅するようにと
の文書をハマンが作ったので、それを無効にしていただきたいと、エステルは王に願った。王の了承を得てモルデカイは文書を作成して、127州に届けられた。その文書によって、ユダヤ人を迫害する民族や州の軍隊を絶滅させ、その持ち物を奪い取ることが許された(11)。この文書が届くと、各州のユダヤ人は 喜び祝い、宴会を開いて楽しくその日を過ごした(17)。
9章 第12の月の13日に敵がユダヤ人を征伐しようとしていたが、事態は逆転し(1)、スサでは500人が滅ぼされ(6)、ハマンの息子10人が殺された(10)。翌日、
ユダヤ人は敵300人を殺したが、持ち物には手をつけなかった(15)。スサのユダヤ人は15日を祝宴と喜びの日とした(18)。王国の諸州にいるユダヤ人も敵7万5千人を殺したが、持ち物には手をつけなかった(16)。地方に住むユダヤ人は第12の月(アダルの月)の14日を祝いの日と定め、宴会を開いて楽しみ、贈り物を交換することとなった(19)。
毎年第12の月の14日と15日(3月1日頃)はユダヤ人が敵をなくして安らぎを得た日として、悩みが喜びに、嘆きが祭りに変わった月として宴会と祝祭の日とした。ハマンがユダヤ人絶滅をたくらみ、プルと呼ばれるくじを投げさせたので(3:7)、プルにちなんでプリムと呼ばれた(26)。モルデカイとエステルによってプリムの祭は文書に記録された(32)。
10章 モルデカイは王に次ぐ地位についた。
【注目点】
*御名はないが、御手の中にある
ハマンがユダヤ人絶滅をたくらみ、プルと呼ばれるくじを投げたので(9:24)、プルにちなんでプリムと呼ばれた(26)。プルはさいころの一種。へブル語では、プルの複数形がプリム。プル(くじ)は、神の御手の中にあると考えられた。
*神様の絶妙なタイミング
・「この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではなか。」(14)と、モルデカイはエステルに言った。そして、エステルは死ぬ覚悟で王宮に向かった。
・第1の月にユダヤ人を絶滅の時期を決めるために、ハマンはプルと呼ばれるくじを投げさせた(3:7)。第12の月との結果、つまり、決定から実施まで1年近くの月日がユダヤ人に与えられた。
*エステル記は大逆転の物語(9:1)
ユダヤ人は絶滅から救われ、7万人以上の敵を亡き者とし、平安を得た(9:22)。
今は困難な時だとしても、いずれの時か訪れるチャンスに日々備えたいものです!
【質疑応答】
①1章の大きな流れを見ていると、男性同士の身分の差よりも男女の格差の方が大きかったように読み取れ、またそれが良くないこととして描かれているわけでもないので、当時はそのような考え方が当たり前だったということですか?
エステルが王妃となったのは、紀元前479年と考えられているので、エステル記は約2500年前の出来事。例外もあるが、古い時代ほど、男女の格差が大きいと考えられるので、現代に比べて、当時は男女の格差が大きかった。また、クセルクセス王は古代史において典型的な独裁君主であった。
②今は「離散の民」として、色々な場所に住んでいるユダヤ人のイメージがあるが、エステル記が書かれた当時から、既にユダヤ人は各地に点在していたのですか?
要塞の町スサのユダヤ人は500人と10人(9:12)と300人(15)の敵を殺したとのこと。地方の町に散在して住む離散のユダヤ人(19)は7万5千人(16)の敵を殺したとのことなので、離散の民は多かったと考えられる。イスラエルの民はバビロンへ連れ去られた(歴代誌下36:20)。バビロンはペルシアに滅ぼされた。また、カルデア人を恐れて、エジプトに向かった人々もいた(列王記下25:26)。などで、ユダヤ人は各地に点在せざるを得ない状況だった。
【感想】
・教会学校の頃からよく聞いたことがある話だったが、今改めて読むと、その当時のユダヤ人の置かれている状況がより正しく理解でき、勉強になった。
・新改訳聖書の4章14節の「あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」という訳が特に好きで、神様の計画が確かに働いているということを感じられてよかった。
Comments