2024年7月21日の学びの記録です。
【ヨエル書について】
・ヨエル書は、12の小預言書(ホセア書~マラキ書)の2番目にあり、預言者ヨエルに語られた主(しゅ)の言葉である。
・ヨエルは「主(ヤハウェ)は神」という意味であるが、ペトエルの子であることの他は記されていない。
・ヨエル書には他の旧約聖書からの引用が多いので、ヨエルは聖書に精通していたと考えられる。
・ヨエル書には、王の名前が記されていないので、執筆時期を推定することは難しい。
・ヨエル書では、いなごの大群がもたらした国土の荒廃を「主の日」にたとえている。「主の日」とは、主が裁き、罰を与える日のことである。
・ヨエルはいなごを突進してくる恐ろしい軍馬にたとえているが、もし民が心から主に立ち帰るならば、希望はある。主は民の声を聞き、滅びから救う。元通りに回復されるだけではなく、主はイスラエルの民の神であることを示し、民と共にエルサレムに住まわれる。
・主は霊を注ぎ、また預言を通して、将来を理解させ、シオンの山においてイスラエルの民と住まわれる、という言葉で「ヨエル書」は終わっている。
・「主の名を呼ぶ者は皆、救われる」と言われているが、諸国の最終的な審判とそのかなたにある新しい世界に関するヨエル書の最後の部分は、今日もなお終末論の領域にとどまっている。
【ヨエル書の内容】
* 1章 いなごによる荒廃 (「出エジプト」の十の災いの8番目のいなごの襲来と同じ)
いなごは神の裁きを象徴する(ヨエル1:4~7、アモス7:1~3、マラキ3:9~11)
ヨエルに主が語られた言葉(1)を、すべての民またその子孫に語り伝えよ(1~3)。
4種類のいなごが畑を荒廃させた(4)。「4」は聖書では徹底的な破壊を示す。
「主の日」(主の裁きの時)が来るので、聖会を招集し、主の神殿で、嘆きの叫びをあげよ(13~15)。
* 2章 (1章は過去の主の日、2章は未来の主の日とも考えられる)
シオン(エルサレムの別名)に主の裁きが行われ、それは過去にも未来にもないような荒廃(1~3)、主の裁きは軍馬が駆け巡るようで、とても恐ろしい(4~11)。
「あなたたちの神、主に立ち帰れ。主は憐れみ深く、くだした災いを思い直さ、祝福を残されるかもしれない」(12~14)。
1:14にもあるように「聖会を招集せよ(15)」とは、神殿における全国民的なきよめの集会をしなさいとのこと。民は悔い改め、主はそれを受け入れられた(15~27)。
* 3章
「その後/わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し/老人は夢を見、若者は幻を見る。/その日、わたしは/奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ。」(1~2)
「しかし、主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。主が言われたように/シオンの山、エルサレムには逃れ場があり/主が呼ばれる残りの者はそこにいる。」(5)
* 4章
ユダとエルサレムの繁栄を回復する時、主は諸国の民を皆集めて、裁かれる(1~2)。
「泉が主の神殿から湧き出る」(18)は、エゼキエル書47:1~12を思い起こさせる。
「民はエルサレムに住み、主はシオン(エルサレムの別名)に住まわれる」(20~21)。
【注目点】
*3:1~2 「すべての人に主の霊が注がれる」
ペテロはこの預言をペンテコステの説教に引用し(2:16~21)、ペンテコステの出来事をその成就であると語った。
・使徒言行録 2:16~21
「そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。
『神は言われる。終わりの時に、/わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、/若者は幻を見、老人は夢を見る。
わたしの僕やはしためにも、/そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。
上では、天に不思議な業を、/下では、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。
主の偉大な輝かしい日が来る前に、/太陽は暗くなり、/月は血のように赤くなる。
主の名を呼び求める者は皆、救われる。』」
また、「主の名を呼び求める者は皆、救われる」は、パウロによってローマ信徒への手紙10:9に引用されている。
・ローマの信徒への手紙 10:9~10
「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。
実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。」
*旧約聖書の時代では、特定の人物のみに、特定の時のみに聖霊が臨むと考えられていた。
・士師記 6:34
主の霊がギデオンを覆った。ギデオンが角笛を吹くと、アビエゼルは彼に従って集まって来た。
・サムエル記上 16:13
サムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼に油を注いだ。その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。サムエルは立ってラマに帰った。
【感想】
・ヨエル書は今回初めて読んだが、1章と2章とで語っている方向性が違うなと感じた。聖書研究会の中で、1章は過去、2章は未来のことを語っているという説明があり、納得した。
・新約聖書にも引用されている箇所があるということで、聖書を読むときに、何も意識せずに読むのと、どこから引用されているかを知りつつ読むのとで、聖書の理解の深さが違ってくるのかなと感じた。
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