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  • 執筆者の写真明裕 橘内

神学生日記 8月 by H.M

神戸ルーテル神学校での学び(6)


今月は、神学の学びの4つの領域のひとつ、歴史神学についての最終回です。


2か月に亘りキリス教の2000年以上に及ぶ歴史の広さ深さの一端をご紹介しましたが、他にも、歴史神学では、日本におけるキリスト教の歴史についても、学びます。


その内容を挙げてみますと、例えば、戦国時代に宣教師によって伝えられたキリスト教が(現代とは比べものにならないほど)多くの信者を獲得した背景について、それが弾圧された経緯について、また、明治期のクリスチャンたちは、禁教であったキリスト教をどのように受け入れ、信仰を深めていったのか、それが第二次世界大戦頃には、多くの教派が国家に従属するような姿勢となった理由について、そして戦後もキリスト教信徒の数が長らく横ばいである要因についてなどを学びます。


皆さんは、日本国内で、クリスチャンと言えば、よく「敬虔な」という形容詞を伴って表現されることが多いのは、なぜだと思われますか? 敬虔であること自体は、よいことだと言えるかと思いますが、偏ったキリスト教への眼差しが、クリスチャンでない人から、そしてクリスチャン自身にも固定化してしまったことには、明治以来の日本でのキリスト教の有り様と無関係ではないことにも気付かされます。


歴史神学のいまひとつ重要な内容は、信条学という分野です。現在は、信条をもっていない教派もあり、信条の大切さがいまひとつ分かりにくいかとも思われますが、キリスト教の歴史は、どの信条を信じ、告白するのかということを中心に、展開されてきたと言っても過言ではありません。使徒信条はその代表的なもので、多くの教派に属するクリスチャンに大切にされてきました。


私たちはルーテル教会に属しますから、使徒信条などの公同の信条に加え、アウグスブルク信仰告白や和協信条などのルーテル教会の信条に基づいて、日々の説教がなされ、宣教も行われてきたわけです。他にも、例えば改革派には、ハイデルベルク信仰問答やウエストミンスター信仰告白などがあり、それぞれの教会の歴史のなかで大切に守られ、展開されてきました。伝統に拠ることのみが、必須だとは言えない側面もありますが、それぞれの教派に属するクリスチャンが、自らの教派の、ある意味では憲法とも考えられる信条を理解している(或いは信条を持たない意味を理解している)ことは、そしてそれを人に説明できるようになることは、決して疎かにはできないとことだとも考えられます。


次回からは、神学の中の神学と言われる組織神学について、できるだけ簡明に述べていきたいと思います。

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