神学校での学び 11『聖書神学(2)』 2023年1月
新年おめでとうございます。神学校での学びの紹介も、いよいよ大詰めとなりました。今回は、新約聖書を神学校ではどのように取り上げ、教えているのかを大切なポイントに絞って述べたいと思います。聖書学は、新旧約聖書に共通して、緒論、その神学、釈義などの内容で構成されていますが、ここでは緒論、すなわち全体としてどう捉えるかという事柄を説明します。
緒論は、まず新約聖書が書かれた当時の世界の時代背景について、把握することから始まります。私たちがもっている聖書では、旧約聖書最後のマラキ書から新約聖書最初のマタイによる福音書へは、1頁をめくるだけで移ることができるのですが、その間には約400年の歴史が流れています。その変遷と、イエス様が生まれた当時のイスラエルと周辺諸国の有様などを踏まえて、27巻の新約聖書を読み始めるのです。
まず各巻(例えば、パウロが書いたとされるローマ人への手紙)について、いつ、どこで、だれから、何のために(目的)、何を(中心となる内容)、どのように、だれ宛に書いたものであるかについて、今一度、丁寧に読み返して、検討します。その過程でさまざまなことが分かってくるからです。聖書と、現在の私たちが手にとる書籍とには大きな違いがあることに、私たちは気づかなければなりません。書き手(筆者)が実際に書いたものを編集者や出版社に送って世に出たのが聖書ではないからです。すなわち原本がないのです。そして、だれが、いつ、どのようにして、今の新約聖書27巻という形にまとめたかということは、研究しないでは分かりません。そうした新約聖書の成立について検討する研究のひとつの中心を「正典論」と言います。
ここでは、パウロ書簡という14の手紙を取り上げて簡潔に説明しましょう。パウロがよく知られている回心をしたのは、彼が26歳の頃、そして各地への伝道旅行の末に53歳頃にローマに到着し、その地で58歳で殉教したと言われています。書簡のなかで、最も早く書かれたのは、第二回伝道旅行から第二回エルサレム訪問の間の頃、すなわちパウロが41歳から45歳の頃に書かれたテサロニケの手紙第一と第二と考えられています。他の書簡もここでは詳細は述べませんが、同様に調べていくことができます。そして、各書簡について、上で述べたような項目からの分析がなされます。
では、いったいどのようなプロセスを経て、ローマの信徒への手紙からヘブライ人への手紙(もっとも、この最後のヘブライ人への手紙は、今日の福音派を含む多くの聖書学者が、パウロが筆者であるとは考えていません)という順序で、新約聖書として、すなわち正典としてまとまっていったのでしょうか。書簡の順序もどのように決められたのでしょうか。ここでは詳しく述べられませんが、そこには、約500年に亘る経緯があったのです。
初代の教会の指導的立場の人たち、そのなかには殉教した人も多いのですが、彼らの尽力と不思議な摂理のような展開の結果、新約聖書は現在の形にまとめあげられていったことが研究されています。こうしたことを学ぶとき、私たちは、神様の大きな導きを、その背後に感じることができます。正典論とは、そのような学びでもあるのです。
次回は、旧約聖書がどのようにして、今の形になっていったかについてご紹介することにします。
たくさんの人の手によって、長い年月をかけて書かれた聖書が、驚くほどの一貫性を持ちながら、書き手の個性をも保っている。とても不思議で魅惑的な書物です。続きが楽しみです!