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執筆者の写真明裕 橘内

神学生日記 2023年2月 by H.M

神学校での学び 12『聖書神学(3)』 2023年2月


先月は、聖書神学のうち、新約聖書に関する紹介をしましたが、今月は旧約聖書に関してです。ご存知のように、世の創造で始まる創世記から、預言書最後のマラキ書までの旧約聖書は、新約聖書と比べると、その扱う時間はずっと長く、また内容が多岐にわたるなど、異なる点が多くあります。ここでは、基本的な要点に絞って述べたいと思います。


まず、旧約聖書研究では、その原文を確定することが非常に重要な作業となり、それは本文批評研究と呼ばれています。残念ながら、現在の私たちが触れることができるのは、原本ではなく、いくつかの写本しかありません。現在、死海写本の研究などにより、紀元前三世紀から一世紀の間に三つの主な写本があったことが分かってきています。そのなかで、多くのユダヤ人やクリスチャンたちが用いているのはマソラ本文という写本で、エルサレム破壊の後のユダヤ教指導者ラビ・アクバによって紀元二世紀に定められたものです。新約聖書研究では、先月も見たように、どのように各巻が正典として定められていったかとの研究が大切になりますが、旧約聖書の場合は、原本そのものがどのようにして出来上がってきたのかいう研究にも力点が置かれることになります。


例えば創世記では、人の誕生について、1章と2章とでは、かなり異なった説明がされています。同じ筆者、或いは同じ伝承から、このような違いが起こるとは考えにくいことから、創世記は、異なった伝承か資料が基になって書かれたという研究が近年になされ、多くの神学者によって受け入れられています。これを文献批評研究と呼びます。他にも、旧約時代当時のさまざまな生活の場面で使われていた決まった表現や表現のパターンについて研究する様式研究や類型研究、定まった形にまとめられた内容が、どのように語り伝えられ、書き記されるまでの変化を研究する伝承史研究、そして、最終的な筆者とされる人たちが、手元の材料をどのように解釈し、構成していったかを調べる編集史研究などがあります。


このようにして明らかにしていくことで、私たちは、旧約聖書の39巻が、いつ、どこで、誰(或いはどのような状況)に向けて語られ、書かれたのかが分かってくるようになるのです。「聖書もほかの書物と同じように、最初から今あるがままの姿で読むべきだ」という人々もいますが、それは現代において、ある筆者が、ひとつの書物を書いて出版するのとは全く異なった、上で述べたような過程をへて聖書が出来上がってきたことを無視することになります。これが、現在の聖書研究の立場です。


しかし、これらの研究は、ある出来事を神様の行為であると明言はしませんし、それは出来ません。それが可能になるのは、信仰告白のみであると神学者たちは言います。ですから、そこに、歴史的・批評的研究の限界もあるのです。


神学の研究は、2000年を超える歴史を顧みても、その広さ、深さは私たちでは測り知れない容量と内容をもっていることが痛感されます。現在の私たちは、イスラエルで最も賢かったと言われるソロモン王とは異なる状況下に生きていますが、それでも、王が主なる神様の前に謙遜にへりくだって祈ったように、知恵に満ちた賢明な心を与えてくださいと願うことを求められているように思います。


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