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執筆者の写真明裕 橘内

神学生日記 7月 by H.M

神戸ルーテル神学校での学び(5)


先月は、教会の歴史(歴史神学という分野)のうち、使徒の時代から、キリスト教がローマ帝国の国教として受け入れられる時代、そして教会が東西に分かれ、そのうちの西側の教会はローマ・カトリック教会として展開されてきた時代までを概観しました。しかし、16世紀に入る頃からルターをはじめ、多くの改革者たちがあらわれます。広く知られた宗教改革の時代の幕開けです。


世界史の教科書などでは、贖宥状(免罪符)の発行などにみられる当時のカトリック教会の腐敗に立ち上がったのが宗教改革者たちだ、という説明がなされることが多いですが、ルターたちがその命をも顧みず立ち上がった根本的理由は、何だったのでしょうか。そこが大切です。


それは、カトリック教会では、人間の救いの為には、神様からの憐み(めぐみ)と共に、人間側も努力せねばならないことが説かれたことによります。いわゆる神人共同という考え方です。そして、その人間の努力を「功績」として教会が評価するのです。その評価が高い人には、救われるチャンスがより与えられるというのがカトリックの考え方です。ある意味で、修行や寄進などを奨励するわけですから、こうした考え方は、西洋に留まらず、私たちの日本でも受け入れやすい考え方かもしれません。


しかし、それでは果たしてキリストが、十字架で私たちの罪の身代わりになる必要はあったのか、という問いに直面します。私たちは、自らの努力では、いくら頑張ったとして、自力では清くなることはできない、罪を取り除くことはできない、そういった存在なのではないでしょうか。そこに気付き、罪の深さ・大きさを認め、悔い改める。そして、それを全面的に受け入れて赦してくださる主イエスを信じることによって、新生されるのが、私たちクリスチャンなのではないでしょうか。


ルターたちの改革は、当然のことながら、当時の社会の在り方、人々や指導者たちの考え方を覆すようなものでしたので、多くの抵抗や迫害にあいました。また、ルター自身は、いま上で書いた根本的なこと以外の多くの事柄については、例えば、カトリック教会の伝統をすべて否定しようなどとは考えていませんでしたので、一部の改革者たちからは、手緩く徹底しない改革だともみなされました。


宗教改革以降、幾つもの教派がキリスト教に生まれた背景には以上のことがあります。皮肉なことに、多くのクリスチャンたちが、自分の言語で(ルターが聖書をドイツ語に訳したことに端を発して)読めることになったことから、教会から離れて聖書を自己流に読み、そこで生じた自らの体験を基盤にして伝える人たちも数多く生まれることになりました。


宗教改革の時代の後、キリスト教の世界は拡大と多様化の道を歩み、同時に混迷を深めています。急速に進む哲学思想や科学的知見との相克もあります。そのような中にあって、恵みのみ、信仰のみ、聖書のみと訴えたルターの言葉を、私たちは今一度確認し、噛み締めたいと願います。




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