神学校での学び 8 『組織神学(2)』
先月より神学のなかで、その中心的位置を占める組織神学について、説明しています。前回は、その組織神学のなかの中心とも言える教義学について、短くご紹介しました。今回は、視点を変えて、「ルターの神学」について、皆様にも分かりやすい礼拝に焦点を合わせてご紹介し、組織神学の裾野の広さを知っていただけたらと思います。ルーテル神学校で学ぶ者にとってルター神学は欠かせない内容ですし、何より、ルーテル教会に連なる皆様にとっても関心のある事柄だと思われるからです。
実は、ルターこそ、いま私たちが行なっている礼拝の大枠を作ったその人なのです。多くの方には想像しにくいことかもしれませんが、ルターが宗教改革をスタートするまでの礼拝は、現在とはかなり異なったものでした。それは、ミサと呼ばれるもので、司祭がラテン語で執り行い、延々と続きました。集まった信徒たちの多くは意味も分からず、ただし献金はほぼ実施され、パンのみの聖餐式(ぶどう酒は、こぼれてはいけないなどの理由で、司祭のみが飲みました)にあずかっていたのです。司祭のなかには、主の祈りさえ満足に言えない者もいたと言われています。
ルターは、それらを変えようとしました。ただし、それまでのローマ・カトリックのやり方を全否定するのではなく、どうしても問題があるところを改革(いわゆるリフォーム)しようとしたのです。それが宗教改革のもつ本来の意味です。具体的に挙げると、ルターは、聖日の礼拝のなかで、旧約聖書と新約聖書の双方が万遍なく触れられるようにしました。そして、牧師によるその講解(いわゆる説教)が終わると、会衆は賛美と感謝、そして祈りのときをもち、約1時間で礼拝が終わるようにしたのです。この1時間ほどという長さは、ルター自身が、礼拝について書いた彼の最初の論文で提示していることです。驚くべきことに、そこには「(会衆を)疲れたりうんざりさせたりしていたようなことを魂に与えてはならない」とまで明言されています。そして大切なことは、ルターによって、礼拝がドイツ語(すなわち自国語)で行われるようになったということです。
そこには、神様のみ言葉を私たちが受け取ることこそ礼拝であるという、ルターの神学が明確に打ち出されています。皆様は、どのように思われますか? 私たちは、このような信仰理解に基づく、クリスチャンの歴史で画期的な変革を行なったルターに連なる教会の一員であることに誇りをもつとともに、改めて感謝したいと思います。
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