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教会の仲間の声 「タンザニアの国立病院を訪問して」

  • 執筆者の写真: 明裕 橘内
    明裕 橘内
  • 10月2日
  • 読了時間: 6分

先月に引き続き、御影ルーテル教会主事である下山主事のお証しを掲載します。今回は、下山主事がタンザニアにある国立病院を訪問した時のお証しです。


***


8月31日の礼拝で、私がアフリカのタンザニアを旅行中に、現地にあるアザニア・フロント・ルーテル教会での礼拝に与った証をさせて頂きました。今回は、私がタンザニアへ行くきっかけとなった娘の事や、彼女が大学院生として課題研究させて頂いたM国立病院の訪問について証させていただきます。


2019年に長女のまりは、京都で助産師として働いていましたが、JICA(外務省が所管する国際協力機構)の試験に合格し、翌年から南太平洋の島国キリバスに派遣される予定でした。ところが、2019年12月1日、中国の武漢で新型コロナ感染症の最初の患者が発症し、翌年2020年1月15日には国内で初めての感染が確認され、世界規模で感染が広がっていったことにより、この派遣は中止されました。その後娘は、神戸中央市民病院で働いていましたが、派遣が叶わなかったことを残念に思っていたようです。将来の働きを模索する中で、聖路加国際大学院看護研究科で修士号を取得するプログラムが、JICA青年海外協力隊を利用して「タンザニア連合共和国母子保健支援ボランティア連携事業」を行っているという事を知りました。これは、助産師として海外経験を積みながら学びを深めたいという娘の希望に適っていました。そしてこの機会を逃すと、JICA隊員としての資格期限が切れることもあり、入試を受けてみるという事でした。幸い合格し、2023年4月に入学、派遣のための訓練を受け、2024年2月から東アフリカにあるタンザニア連合共和国に派遣されることになりました。派遣先は大学院が連携しているM国立病院で、旧首都であるダルエスサラームに滞在して、1年半の課題研究を行うことになりました。


初めてこの計画を聞いた時、夫は本人の好きなようにしたらよいという考えでした。私は母親として応援したいという気持ちと、タンザニアってアフリカのどこにあるのだろう、治安は良いのか、致命的な感染症の危険はないのだろうか、などと心配する思いの両方がありました。けれども、コロナ禍のため一度断念しなければならなかった海外派遣を考えると、祈って送り出すのが一番良いように思われました。母親である私にも信仰と決断が要求されました。それは、親としての手助けが及ばないところへ行く娘をイエス様に委ねる信仰と、未知の国でも逞しく生きていって欲しいという成人した子供への期待と信頼でありました。


M国立病院は、ダルエスサラームにある総合病院です。タンザニア政府のウェブサイトでは、入院ベッド数は1500床、一日の外来患者数は約2000人、職員は約2800人という大きな病院です。広大な敷地の中に、様々な医療施設が点在し、娘は助産師ですので、主に産婦人科外来、産科病棟、手術室、分娩室で学んでいました。M国立病院は、ひとつの高層ビルの各階毎に外来、病棟、手術室や分娩室等と分かれている日本の病院とは違い、平屋、あるいは2-4階建ての建物が点在する、療養所のような印象でした。施設は新しく、数年前に中国によって建てられたそうです。


病院を訪問したのは日曜日の午後だったので、外来などは静かでした。まず、分娩室がある棟から入りました。入り口で、一人の黒人女性が小さな木の机に向かって書き物をしています。娘の知り合いの助産師で、声をかけると笑顔で親しげに答えていました。私が母親であることを知ると、訪問をとても喜んでくれました。彼女は分娩台帳を書いていたそうで、シスターと呼ばれていました。タンザニアには、かつて看護師はいませんでした。病人が出ると、患者さんのお世話は家族か、教会のシスターがしていたそうです。その名残が今も看護師や助産師をシスターと呼ぶ慣習となっているようです。


許可を得て中に入ると、小学校の教室程の広さの部屋があり、ベッドが四隅に一つずつ置かれていました。中央に机があり、2人程女性スタッフがいましたが、娘を見ると笑顔で駆け寄って来て抱きつき、スワヒリ語でおしゃべりをしていました。現地のスタッフとも、娘は打ち解けているようで、こちらまで嬉しくなりました。そして、先程と同じように母親の私を歓迎してくれていました。分娩室や回復室等、外からだけ案内を受けて、次に産婦人科の手術室へ向かいました。各建物は、屋根付きの壁のない渡り廊下でつながっています。手術室は平屋の建物でした。中には入れないので、娘は建物の外から回復室へと向かいました。外では、立派な体格の黒人男性が、その体に負けない大きなたらいでサンダルを洗っていました。手術室で使うものなのでしょう。娘が声をかけると満面の笑みで話し、体をゆすって笑っていました。外から回復室の小窓を叩くと、休憩をとっていた男性看護師が2人顔を出し、同じように笑顔で娘と話していました。また、私に対しては、「シカモー」と、目上の人にだけ尊敬を込めて使う特別な挨拶をしてくれ、私も娘に教えてもらいそれに対する応答である「マラハーバ」と答えました。現地スタッフの誰もが娘と親しく、良い関係であることに感動し、私も娘の元気な姿を見ることができ喜んでいる事、それは病院の現地スタッフが、暖かく彼女を受け入れて下さっているからこそで、心から感謝をしていますと、拙い英語でお伝えしました。黒い肌の彼らは、白い歯を見せながら頷いて聞いていてくれていました。


タンザニア人は、宗教心に熱く、キリスト教が40%、イスラム教が40%、在来宗教が20%で、皆何らかの神を信じています。そのことは、見学はできなかったのですが、病院の中にチャペルとモスクがあることからも分かります。病んでいる人には特に神との関わりが必要であることを理解しているからこそ、国立病院でありながら礼拝堂が備えられているのではないでしょうか。


M国立病院は広大な敷地の中にある総合病院ですが、この敷地の中には、さらに2つの病院

があります。そして他の2つの病院とも連携して、より良い医療を目指しているとのことです。また、娘の活動中に、他国からもこのM国立病院で研修を受けるために来た医療従事者たちがいて、娘とも母国の医療事情などを情報交換したと聞きました。タンザニアは、医療面でも様々な国の支援や協力を受けながら、今まさに、大きく成長していこうとしているようでした。


子供をアフリカに送り出す時は、信仰と決断が必要でしたが、イエス様は祈りに答えて下さり、娘を支え、守り、成長させて下さいました。遠いアフリカで逞しく元気に活動している娘の姿を見、明るくおおらかなタンザニアの人々に受け入れられ、愛されていることも知ることができました。タンザニアの新生児の肌は全員が成人した黒人のように黒いのではなく、日本人と変わらないと娘は言っていました。時間の経過とともに、黒くなっていくのだそうです。人を隔てるのは、肌の色ではありません。神と人を愛するタンザニア人から学ぶことは、多くありました。


「そこで、ペテロは口を開きこういった。『神は、人を分け隔てなさらないことがよく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。』」(使徒10:34-35)


(教会主事・下山富美子)


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