女性牧師からの「聖書のことば」2025年10月9日
- 明裕 橘内
- 3 日前
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「レジリエンス」という言葉を耳にしたことがおありでしょうか。
「レジリエンス」という言葉を、昨年あたりから私は耳にするようになりましたので、以下に、調べてまとめてみました。
レジリエンスとは、弾力、復元力、回復力という意味であり、心理学的には、「困難な状況にもかかわらず、うまく適応する過程や能力」「精神的回復力」と解釈されているそうです。ゴム製のボールを想像してみると、弾力のあるボールは、凹んでも元の形に戻ります。この“跳ね返る力”がレジリエンスとのことです。現代社会では、健康の不安や家族の問題など多くの人々が何らかのストレスを抱えています。ところが、同じような苦難にさらされても、それが原因で不調になる人もいれば、徐々に回復に向かう人もいます。人によって回復の様子が異なるのは、心の弾力性の違い、つまりレジリエンスの違いとのことです。
レジリエンスは、以下のような環境や努力で後天的に養われていく部分もあるとのことです。
*幼少期から家族に限らず、擁護的な存在に恵まれてきた
*人との結びつきを大事にしてきた
*「できた」という経験から自己効力感を培ってきた
*自己認識を高める努力をしてきた
幼少期から、家族に限らず擁護的な存在が身近にいた人は、レジリエンスにも恵まれているという研究報告があるそうです。この研究から、幼少期につらい環境や逆境にあったり、トラウマ(精神的外傷)を受けても、親以外の親族や近隣の人々なども含めて、親身になって世話をしてくれる人に恵まれると、後天的にレジリエンスを高める結果につながったと考えられているそうです。
さて、「擁護してくれる存在」という言葉から、「神様」が思い浮かびました。擁護とは助け守ってくれることですから、助け守ってくださる神様が私たちを愛してくださっているという確信によって、レジリエンス(回復力)が高まると言っていいでしょう。信仰によって義(正しい者)としていただい私たちには神様の愛が注がれているからです。
以下、ローマの信徒への手紙5章 1節~11節をご覧ください。神様の愛が示されています。
【このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。】
ご存じの通り、8月に転倒し、その後に骨折の診断を受けたのは私の誕生日でした。まさか骨折しているとは思っていませんでしたので、たいへん驚きましたが、神様からの誕生日プレゼントとして受け取ろうと思いました。今までは「転んでもただでは起きない」という言葉は欲深い感じがして、あまり好きではありませんでしたが、実際に転んでしまうと、慈しみ深い神様のご計画のうちにあるのだから、何かを受け取りたいという気持ちが芽生えました。確かに神様は豊かな恵みを与えてくださいました。この夏の骨折を通して、神様が万事を益となるように取り計らってくださるという信頼が増し加わりました。
それでは、最後に、以下、ローマの信徒への手紙 8章 26節~32節をご覧ください。祈りの言葉さえ出ないような時に、執り成してくださる神様が万事を益となるように取り計らってくださることが語られています。
【同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。
神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。
神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。
神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。】
(きつない・れいこ)

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