女性牧師からの「聖書のことば」2026年1月15日
- 明裕 橘内
- 1月15日
- 読了時間: 3分
『私たちの苦労を理解してくださるイエス様』
毎月第三日曜日の午後に行われています「新約聖書の学び」の準備をしているところなのですが、イエス様の様々なご苦労を知ることができました。
マタイによる福音書5~7章は、山上の垂訓と言われて有名であり、以下の言葉で総括されています。
〇7章 28~29節
【イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。
彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。】
そして、マタイによる福音書の8~9章は、以下の言葉で、総括されています。
〇9章 35節
【イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。】
このように、イエス様は権威ある者としてお教えになられ、御国の福音を宣べ伝え、病気をいやされ、奇跡を行われました。そして、それらは群衆に対する深い憐れみの心からの言葉と行いでした。
〇マタイによる福音書9章 36節
【また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。】
しかし、聖書を深く学んでいるはずの律法学者やファリサイ派の人たち、また祭司であり高い位にあったと言われるサドカイ派の人たち、そして、聖書をよく読んでみますと、ヨハネの弟子たちでさえ、イエス様の言動に疑問を持っていました。
イエス様は十字架にかかって苦しまれたと私たちは考えていますが、御国の福音を宣べ伝え始められた当初から、学識ある人たちから反論を受けていました。一度ならず、何度も。
マタイによる福音書を最初から読んでみますと、イエス様は貧しい環境で生まれ育たれ、悪魔からの誘惑を受けられました。聖書の言葉を用いて、悪魔に打ち勝たれましたが、その後、御国の福音を宣べ伝え始められますが、苦労の連続とも言えます。弟子たちや群衆は従っていたとも言えますが、全知全能の神様の権威をいただいているイエス様だからこそ従っていっている、と言うよりも、治療してくれるから、食べさせてくれるからということのために、群衆はついて行っていたと思えます。
イエス様の様々なご苦労は、預言の実現のためでした。
〇マタイによる福音書8章17節
【それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。「彼はわたしたちの患いを負い、/わたしたちの病を担った。」】
イエス様の様々なご苦労は、私たちの身代わりとなってくださってのことであると示されます。だからこそ、イエス様は私たちの苦労をわかってくださり、私たちのために犠牲になってくださいました。旧約聖書を読んでみますと、神の裁きを語らなければなりませんでしたので、預言者も様々な苦労がありましたが、イエス様はそれをはるかに上回る様々なご苦労がありました。だからこそ、苦労をしている人々の理解者なのです。
「この苦しみは誰もわかってもらえない」という言葉を聞いたことがありますが、イエス様だけが唯一の理解者と言えます。一人でも理解者がいてくれるとやっていけると思えますが、それが限界ある人間ではなく、神様のひとり子であられる、神様の権威を持っておられるイエス様なのです。
うれしい時にも悲しい時にもイエス様が共におられることに、感謝しつつ、あっという間に1月も半月が過ぎ去って行きましたが、今年も聖書の言葉から、私たちの苦労を理解してくださるイエス様を見い出していくことを楽しみにしていきたいと思っています。最後になりましたが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
(きつない・れいこ)





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