「雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。」【ヘブライ人への手紙9章12節】
現代の日本では「水に流す」と言えば赦しを得ることですが、イエス様の時代のヘブライの人々は「血」を流さなければ赦しがない世界でした。恐ろしいと思えますが、だから、イエス様は十字架において血を流される必要があったのです。
残酷に思えますが、今はイエス様の苦しみを思う季節(四旬節、受難節)ですので、この箇所を選んでみました。
当時、ヘブライ人の人々は、律法に縛られていました。具体的には、毎年、エルサレムの神殿に行って、自分の受けるべき罪の罰を雄山羊や雄牛の血を流して、赦しを受けなければならないという考え方でした。
しかし、イエス様が十字架において、永遠の贖いを成し遂げられたので、もうそのような残酷なことはしなくてもよくなったのです。
イエス様がお引き受けくださったので、それは申し訳ないと思いますが、感謝でしかありません。
規則と戒律ずくめの律法を廃棄してくださったイエス様に、感謝しつつ、歩んで参りましょう。
【エフェソ信徒への手紙2章14~16節】
実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。
(きつない・れいこ)
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