それゆえ、主は恵みを与えようとして/あなたたちを待ち/それゆえ、主は憐れみを与えようとして/立ち上がられる。
まことに、主は正義の神。なんと幸いなことか、すべて主を待ち望む人は。
(イザヤ書 30章 18節)
イースターの前のこの季節、四旬節と呼ばれています。受難節とも言われ、主イエス様のご受難を心にとめながら過ごす季節とも考えられています。
主が苦しまれたことを考えるなどは、気がふさぐと感じられることが、一般的には多いかもしれません。
努力が報われない時、また、努力をする気力もない時、私たちの日常生活には様々な出来事が起こり、思い通りにならないことが多々あります。
そんな中で、主を待ち望む人はなんと幸いでしょう、と書かれています。
神様に期待しつつ、待ち望む幸い。「待つ」とありますから、現実の変化に時間がかかることもあります。
自動販売機のように、お金を入れて、すぐに商品が出てくるというようなスピード感はありません。
私が求めるタイミングではなく、私が求める方法ではないことがあります。
自分がスイッチを押し、自分が物事を動かし、良い結果が出た時に、喜ぶというのが人間です。
しかし、主なる神様は正しいお方であり、ふさわしい方法も、ふさわしいタイミングもご存じです。
そして、ただ正しいお方であるだけでなく、その正しいお方が恵みと憐れみを立ち上がってまでして、与えてくださるのです。
期待して、待つしかありません。
二千年前に、尊いたった一人しかいない子どもを、私たちの罪の身代わりに、この世に送ってくださったこと、
それこそが神様の恵みと憐れみですが、私たちの日常生活にも、神様からの恵みと憐れみはないでしょうか。
主を待ち望むとは、主の恵みと憐れみを見つけていくこと、感謝しつつ、主の恵みと憐れみを味わっていくことでしょうね。
もれなく、皆様に、主の恵みと憐れみがプレゼントされます(コマーシャルのようですが・・・)。
気づくか、気づかないかのどちらかでしょう。
神様、どうか主の恵みと憐れみに気づかせてください。様々な主の恵みと憐れみの発見に敏感である者としてください。
(きつない・れいこ)
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