「聖書の言葉が実現する喜び」
2024年も残すところ、20日余りとなりました。今年の最大の喜びは、園田伝道所が会堂を取得したことと言えます。それは単に、家を買ったということではなく、30年以上もの祈りの課題が聞き届けられたこと、聖書の言葉が実現したことの喜びだからです。
さて、クリスマスには、イエス様の誕生についての聖書の箇所が読まれますが、特にマタイによる福音書では、「主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった」というような表現を幾たびも耳にします。
旧約聖書は大きく分けて、歴史、文学、預言の三つの部分に分けられます。「歴史の部」は創世記~エステル記、「文学の部」はヨブ記~雅歌、「預言の部」はイザヤ書~マラキ書。「預言の部」は、主なる神様が預言者に語られたり、幻で示されたりと、現代の私たちには理解しがたいところもありますが、新約聖書の主な登場人物の共通概念となっていますので、多少意味不明のところがあったとしても、とりあえず、読んでみることは大切と思います。
もしも、マリアの夫ヨセフが預言者の言葉を知らなかったとしたら、イエス様は「イエス」(その意味は「救い」)、と名付けられなかったかもしれません。少々長いですが、今回はヨセフの視点に立って、以下、読んでみてもらえますでしょうか。これから生まれようとしている赤ちゃんが、民を罪から救う方であり、神は私たちと共におられることを示す存在であることが示されていますので。
【マタイによる福音書1章 18~25節
イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。】
以上、イエス様の誕生の次第ですが、もしも、マリアの夫ヨセフが預言者の言葉を知らなかったとしたら、マリアは婚約を破棄され、イエス様は「イエス」と名付けられなかっかもしれません。
また、ローマ帝国の支配下にあった時代ですから、人々の生活は貧しく、母子家庭では赤ちゃんが少年、大人へと成長していくのが容易ではなかったかと想像されます。婚約者がみごもるという前代未聞の出来事を受け入れ、その赤ちゃんを育てるという大役を仰せつかったヨセフ。聖書の言葉を知っていたからこそ、この現実を受け止められました。
2024年を思い返しますと、1月1日に能登半島で大きな地震があり、世界では様々なところで戦争が続いています。この現実を受け止めるには、やはり私たちにも聖書の言葉が必要なのではないでしょうか。神様からいただく聖書の言葉によって、私たちも困難な現実を受け止め、明日へとまた未来へと歩みを続けて行くことができますように、また「聖書の言葉が実現する喜び」に、新たなる年も導かれますようにお祈りしています。
(きつない・れいこ)
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