青年会主催の聖書研究会を担当させていただいてますが、
先月に引き続き、「イザヤ書」を紐解き、その偉大さを知る、暑い夏でした。
さかのぼること、2700年程前、そのような過去の預言が、私たちとどのような関係があるのでしょうか。
私たちの信仰生活が、「イザヤ書」に、語られていると感じたのですが、大きな視野で読み進めていただければ感謝です。
さて、新約聖書の物語の部分は、福音書から使徒言行録と考えられます。
最初に書きあげられたと言われる「マルコによる福音書」では、1章2節に、
「預言者イザヤの書にこう書いてある。」
そして、「使徒言行録」の最終章28章の25節には、「預言者イザヤを通して語られました」と書かれています。
「預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。」(マタイによる福音書8章17節、12章17節)と、
福音書では、幾度も、イザヤの預言がイエス様によって実現されたと書かれています。
マタイによる福音書 8章16節~17節には、イザヤ書の引用が含まれ、
【イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた。
それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。「彼はわたしたちの患いを負い、/わたしたちの病を担った。」】
また、マタイによる福音書の12章15節~21節においても、イザヤ書の引用が含まれています。
【イエスは皆の病気をいやして、
御自分のことを言いふらさないようにと戒められた。
それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
「見よ、わたしの選んだ僕。わたしの心に適った愛する者。この僕にわたしの霊を授ける。彼は異邦人に正義を知らせる。
彼は争わず、叫ばず、/その声を聞く者は大通りにはいない。
正義を勝利に導くまで、/彼は傷ついた葦を折らず、/くすぶる灯心を消さない。
異邦人は彼の名に望みをかける。」】
イエス様は私たちの病を担ってくださり、
イエス様は神に選ばれて、神の霊を受けられますが、静かに働きを進めていかれました。
神様の正しさを異邦人に告げ知らせ、異邦人はイエス様に希望を持つとのことです。
預言者イザヤ通して言われたことが実現されるとは、いかに意味深いことでしょうか。
イザヤは、イスラエルの民がバビロン捕囚という苦難を受け、解放されると預言しました。
そして、イエス様がこの世界に来られることを預言しました。
では、イザヤ書の預言はどのように終わっているのでしょうか。
それは、異邦人について、語られています。イスラエルの民ではありませんので、私たちも異邦人と考えられるかと思っています。
最終章66章23節には、
【新月ごと、安息日ごとに/すべての肉なる者はわたしの前に来てひれ伏すと/主は言われる。】と言われています。
新しい月ごとに聖餐式を、また日曜日ごとに礼拝を行っている、私たち御影ルーテル教会の信仰生活には、
今もなお、イザヤの預言が成就していると感じたのは私だけでしょうか。
神様の祝福と導きが、私たちの信仰生活に豊かにありますようにお祈りしています。
(きつない・れいこ)
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