「・・・身分の低い、このはしためにも
目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人も
わたしを幸いな者と言うでしょう。
力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。」
(ルカによる福音書1章48~49節)
聖書の中で、母マリアの発言は多くは記載されていません。
そのような中で、ルカによる福音書1章46~55節は「マリアの賛歌」と呼ばれ、
クラシック音楽において有名な宗教曲ともなっています。
さて、母マリアは、自らは身分が低いと自己認識していましたが、偉大なる神様が目を留め下さって、救い主の母となる大役を仰せつかり、喜びました。
実際は、いいなずけヨセフが居ながらにして、受胎告知ですので、ヨセフから、また世間の人々からどのような扱いを受けるのか、不安がいっぱいであったとしてもおかしくありません。マリアが自らの立場や世間体を考えたとしたら、不幸な自分と感じるのが当たり前なのかもしれません。
しかし、奇跡的に、神様が偉大なことをなされたと受け取りましたので、自らは幸いな者であると喜んでいます。あるいは、神様が偉大なことを自らに行ってくださったと受け取る信仰があったからこそ、マリアが救い主の母として選ばれたと言っていいのでしょう。神様が自分を不幸に追い詰めるはずがないという神様への信頼が、大きな喜び、そして神様への賛美へと導きました。
この神様への信頼、大きな喜びが、クリスマスを覚えるこの時期に、わたしたちにも増し加えられますように、お祈りしています。
(きつない・れいこ)
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