幸いな母マリア
【わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、このはしためにも 目を留めてくださったからです。】
新約聖書 ルカによる福音書 1章 47節~48節
今週の日曜日は母の日でしたので、イエス・キリストの母マリアについて見てみましょう。
受胎告知を受けて、マリアは言いました。
「私は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い私を目に留めてくださったからです。いつの世の人もわたしを幸いな者というでしょう」
婚約中に身ごもってしまったということや、長男であるイエス様が逮捕され十字架刑となったことなど、母としてマリアの生涯が決して平坦な道のりではなかったことは予想ができます。
しかし、当時の身分の制度においては決して高い身分ではなく、また同じような境遇の女性も多い中で、神様が目を留めてくださり、救い主の母となるように選んでくださった神様を、喜んでほめたたえています。そして、あらゆる時代の人々もマリアを幸せな者と言うと信じていました。この神様への深い信頼がマリアを幸いな母としたのでしょう。厳しい現実社会を受けとめつつも、神様からの語りかけを通して、自らを見つめた時に、特別な幸いを得ているという使命感に生きることができたと思われます。
最後に、晩年のマリアはどのように過ごしていたのでしょうか。
【彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた】使徒言行録1章45節
イエス様の復活、そして昇天の後も、イエス様の兄弟たちと弟子たちと共に、心を合わせて熱心に祈っていたことが、聖書ではマリアについての最後の記述となっています。親族だけではなく、イエス様への信仰を持った仲間たちと熱心に祈り、初代教会の進展を影で支えたと考えられます。
それぞれの神様からの使命を受けとめ、幸いを味わいつつ、日々過ごされますようにお祈りしています。
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