【「見よ、主なる神が私を助けてくださる。/誰が私を罪に定められよう。】旧約聖書 イザヤ書 50章 9節
次週の日曜日(4月17日)は、イースターです。イエス・キリストの復活をお祝いする日です。
クリスマスは12月25日と固定されていますが、イースターは春分の後の最初に訪れる満月の次の日曜日とのこと、毎年固定されていませんので、世の中では馴染みにくいのでしょうか。イースターの前の1週間は受難週と言われ、イエス様の苦しみや十字架を深く思う時なのですが、楽しい春に苦しみを深く思うとはどうしてなのでしょうか。
自己肯定感が大切、また、根拠のない自信がある人は強いなどということも耳にしますが、オリンピック選手のように長年苦しいトレーニングを重ねてきた人々は「自分を信じる」と言えるでしょうが、自分の弱さをよく知っている私などは、「自分を信じる」とは胸を張って言えません。
自分を信じきれないので、人間以上に信頼ができるお方に頼りたいのかもしれません。しかし、頼りたいけれども、忘れてしまうものです。
罪とは、神様から離れていることであると言えます。誰しも24時間365日神様から離れず過ごすということは不可能なことです。
だからこそ、「誰が私を罪に定められよう。」つまり、誰も私を罪に定めることはありません、ということは癒しの言葉となります。
神の子イエス様が全世界の全時代のあらゆる人々の「身代わり」となって、あざけられたり鞭打たれながら、十字架の死を遂げられたという根拠があるからこそ、私たちは神様から罪に定められることがないと信じることができるようになります。イエス・キリストの苦しみを知ることによって、イースターの喜びが増し加えられます。
「主なる神様がわたしを助けてくださる」という聖書の言葉をいつも口にしながら、「根拠のない自信」から、「根拠のある神への信頼」で、日々歩んでいきたものです。
~「主なる神様が助けてくださる」~
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