最近、私は神の教会とはどのようなものなのかについてよく考えています。牧師の賜物は、その牧師がどのような教会で奉仕しているかによる、と言う人もいますが、そのような面もあるでしょう。教会の牧師になるためには、牧師としてあらゆることができなければならない、という人もいます。そうであれば、教会の牧師は何でもできるスーパーマンでなければなりません。そう見えますか?
私は今年の3月に御影ルーテル教会に来ました。教会の方々が自分の役割を果たし、奉仕することに非常に意欲的であることが分かりました。とても素晴らしいメンバーがたくさんいます。これは、コリントの信徒への手紙一 12 章でパウロが述べた、体とその成員についての教えを思い出させます(コリントの信徒への手紙一 12:12-31をお読みください) 。
「体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。・・・だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。 目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。・・・あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。 神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。・・・」(コリントの信徒への手紙一 12:12-31より抜粋)
コリントの信徒への手紙一の第 12 章は、神様が私たちに与えてくださった霊的な賜物についての言及から始まります。これらの賜物は、体全体の利益のために同じ聖霊によって与えられます。彼は続けて、統一の重要性、体のさまざまな部分が繁栄のために相互に依存していることについて話しました。各部分の「機能」は異なりますが、神の目にはそれらはすべて神様の栄光を示す大きな目的に役立ちます。
この聖句はまず、一人一人がキリストの体に固有であり、誰かが他の人よりも優れているわけではなく、全体の価値が発揮されるのは一致であるということを思い出させます。第二に、聖書はお互いの間の関係についても語っています。教会員は一人では存在できず、機能することもできません。私たちはお互いを必要としていて、それで全体を完成させ、さまざまな賜物に満ちた教会となります。
第三に、神様は私たちが共に成長することを望んでいます。各メンバーがそれぞれの立場で神の呼びかけに応え、賜物を適切に活用し、体全体の機能を向上させるために、協力している人たちがいることを知ってください。あなたも神の国も成長していくのです。これはなんと嬉しいことでしょう!
(ファン・ユーフェ/日本フェローシップ・ディコンリー伝道会宣教師)
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