とってもやさしいルターの小教理問答書講座 第37回
- 明裕 橘内
- 3月6日
- 読了時間: 2分
〔夕べの祈り〕
夜、寝床に入るとき、十字架のしるしによって自分自身を祝福し、次のように言いましょう。
父、子、聖霊なる神様の御心がなされますように。アーメン。
それから、ひざまづいても立ったままでも、使徒信条を述べ、主の祈りを祈りなさい。 次の小さな祈りを祈ってもよいでしょう。
天にいらっしゃる、わたしのお父様。 あなたの愛する御子(みこ)イエス・キリストを通して、感謝します。 あなたの恵みによって私を守ってくださり、ありがとうございます。 今日私がおかした罪と悪をどうかおゆるし下さい。 今晩も、神様のお恵みによって私をお守りください。 私自身を、すなわち私の体と、私の心と、私の持っているものすべてを、 あなたの御手(みて)におゆだねいたします。 悪しき敵が私に力を振るうことがないように、 聖なる天使を私のところにおつかわし下さい。 アーメン。
その後すぐに、喜びながら眠りましょう。(結城浩訳 『ルターの小教理問答書』より)
今回の学びは、夕べの祈りです。どのように祈るのが、福音を信じる者の姿なのか、ということのルターなりの提案、ということになるでしょう。
「今日私がおかした罪と悪をどうかおゆるし下さい」という赦しを求める祈りがあるのは、ごく自然なことだと思います。そして大事なのは、「だから、私は何々をします」といったような、神様との取引がないことです。赦してもらう代わりにこれをする、ということでは、福音的な信仰とは言うことができません。あとは、神様の守りを願い、完全にゆだねる祈りをしています。そして、「喜びながら眠りましょう」というお勧めが来るのです。
これは、完全に赦されていることを実感している、福音によって生かされている者の姿です。そこには、「もしや赦されていないのでは」といった、一片の疑いもありません。ここが大事です。今、クリスチャンであってもなくても、不眠に悩む方は多いでしょうから、「喜びながら眠りましょうと言われても、それができないから悩むんだ」ということにもなるのでしょう。でも、ここでは、自分が赦されているか赦されていないかで悩む必要はない、ということが言われているのだ、と理解していただければいいのでは、と思います。皆さんの朝と夕のお祈りの生活が豊かになれば幸いです。
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