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とってもやさしいルターの小教理問答書講座 第36回

執筆者の写真: 明裕 橘内明裕 橘内

【朝と夕べの祈り】

父親が家族に朝と夕べの祈りを教えるには


〔朝の祈り〕

朝、起きたらすぐに、 聖なる十字架のしるしによって自分自身を祝福し、 次のように言いましょう。


父、子、聖霊なる神様の御心がなされますように。アーメン。


それから、ひざまづいても立ったままでもよいですから、 使徒信条を述べ、主の祈りを祈りなさい。 次の小さな祈りを祈ってもよいでしょう。


天にいらっしゃる、わたしのお父様。 あなたの愛する御子(みこ)イエス・キリストを通して、感謝します。 昨晩も、 あらゆる悪いものや危ないことから私を守ってくださり、ありがとうございます。 今日一日もまた、あらゆる悪と罪からわたしをお救いください。 そして、私の行動や生活があなたを喜ばせるようにと祈ります。 私自身を、すなわち私の体と、私の心と、私の持っているものすべてを、 あなたの御手(みて)におゆだねいたします。 悪しき敵が私に力を振るうことがないように、 聖なる天使を私のところにおつかわし下さい。 アーメン。


その後で、喜びをもって仕事をはじめたり、 十戒やあなた自身の考えから示された歌を歌ったりしてもよいでしょう。(結城浩訳 『ルターの小教理問答書』より)



いよいよルターの小教理も教理(教え)の部分が終わり、信仰生活への具体的なアドバイスの部分となりました。今回は、ルターが提案する朝と夕の祈りのうち、朝の祈りの紹介です。


ルターは主の祈りの項で、祈りについて教えていますが、ここでは具体的に、どんなことばで祈るのか、ということを提示しています。このようなごく日常のことまで書いて指示しているのは、それだけルターの当時、どう祈るのか、ということにおいて、無知と混乱があった、ということを示しているのでしょう。


冒頭には、「聖なる十字架のしるしによって自分自身を祝福し、・・・」との指示がありますが、しばしば言われる「カトリックは十字を切るが、プロテスタントはそのようなことはしない」という言説がいかにステレオタイプなものであり、誤っているか、ということをはっきりと表しています。ルターはごく自然に、十字を切ることを自らを祝福することとして、認めていました。だから現代日本に生きる私たちもそうしましょう、ということではないのですが、当時のルターを理解するうえで、知っておいてよい事柄だと思っております。ちなみに、小教理の翻訳によっては、この十字を切る、という動作のことは省かれております。


それにしても、お祈りの後、「喜びをもって仕事をはじめたり、・・・」と言われても、今の気分優勢の時代、祈ったところで心に喜びがわいてくるとも限らないではないか、と言われてしまうこともあるかもしれません。しかしここでは、ルターの、「祈って心を定め、喜んで一日を始めるのだ、という確かな意志を持つ」といった気概を感じるのです。皆さんはいかがでしょうか。変わりやすい気分よりも、祈って神様に強められた確かな意志をもって一日を始める。見習いたいものです。

 
 
 

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