第六部:聖餐式について
父親が家族に聖餐式を簡潔に示すには(3)
[問い] どうして物理的な食べたり飲んだりすることがそんなにすばらしいことをなすのでしょうか。
[答え] もちろん、 食べたり飲んだりすることがそのようなことをなすわけではありません。 ここに書かれている 「あなたたちのために与えられる」および「あなたたちの罪を赦すために流される」 という言葉が、それらのよいことをなすのです。これらの言葉は、物理的な食べたり飲んだりすることとともに聖餐式の重要な部分を占めているのです。 これらの言葉を信じる人は、ここで述べている通りのもの、ここに記されている通りのものを得るのです。 すなわち、罪の赦しを得るのです。
聖餐式と言えども、そこではパンとぶどう酒を食べたり飲んだりするわけですから、「物理的な飲食」と捉えられてもおかしくはありません。しかし、それが「罪の赦し、命と救い」を与えるというのですから、どうしてそのようなすばらしいことをなすのか、という質問が設定されているわけです。
それに対するルターの回答は、あくまで「神の言葉」なのです。「ここに書かれている 『あなたたちのために与えられる』および『あなたたちの罪を赦すために流される』 という言葉が、それらのよいことをなすのです」と言うように、聖書の言葉にどう書かれているか、ということが、ルターにとっては大事だったのです。その意味では、「書かれたこと」に束縛されていたルターではありましたが、それは実に幸いな束縛でした。自分をしっかりと、神様の恵みの言葉に結び付けていたのです。すなわちそれは、「書かれていることは必ず実現する」という信仰でした。そしてその信仰こそが、罪の赦しを実際に受け取るのです。
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