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執筆者の写真明裕 橘内

とってもやさしいルターの小教理問答書講座 第29回

第四部:洗礼について その4


[問い] 水による洗礼にはどんな意味があるのですか。


[答え] 私たちの内なる古いアダムは、日々の悲しみと悔い改めによって、 すべての罪と邪な欲望とともに溺れ死に、 そして、その反対に、 新しい人間が日々生まれ、死から再び復活する、 という意味があります。 その新しい人間は神の御前で、正しく聖い者として永遠に生きるのです。


[問い] どこにそれが書いてありますか。


[答え] 聖パウロがローマ人への手紙6章で次のように言っています。 「私たちは洗礼を通してキリストといっしょに死へと葬られました。 ですからキリストが父の栄光によって死から復活したのと同じように、 私たちも新しい命のうちに歩むのです」(結城浩訳 『ルターの小教理問答書』より)



ルターはここで、洗礼を私たちの毎日の生活に結び付けて説明しています。私たちの内側の古い人が滅び、新しい人がよみがえる、これが私たちの毎日の歩みであり、それこそが日々の洗礼なのだ、というのです。ですから、洗礼は一度受けたら終わり、というのではなく、御言葉と共に歩む私たちの、毎日の悔い改めと信仰の生活なのだ、と言うこともできるでしょう。


そのあと、すかさず「どこにそれが書いてありますか」という問いを設定するのはまことにルターらしいことです。ルターの当時はまだ聖書が章までしか分けられていなかったので、「ローマ人への手紙6章」と言われていますが、現在のローマ書6章4節のことで、新共同訳聖書では、「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです」と訳されています。ルターはこのような恵みが、信仰者のうちに毎日生起している、と解釈したのでした。


ここからわかることは、洗礼は私たち人間の「改善」を意図してはいない、ということです。それでは足りないほど、私たちの本質は罪に堕落しているのです。だから、神様が意図したことは、死でありました。私たちが一度罪に死んで、そしてキリストの復活の命によってよみがえる、ということだったのです。古い自分に死に、私に対する新しい創造を受け入れる。全く新しい私にされたことに、喜びを覚えるものです。

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