第四部:洗礼について その3
問い どうしてそのようなすばらしいことが水にできるのですか。
答え もちろん、水にはそのようなことを行う力はありません。 水とともにあり、水のうちに働く神の御言葉がそのようなことをなすのです。 なぜなら、神の御言葉がなければ、水はただの水にすぎず、洗礼ではないからです。 しかし神の御言葉があるとき、 水は洗礼となり、恵みに満ちた命の水、聖霊による新生の洗いとなるのです。 それは、聖パウロがテトスへの手紙3章で次のように述べている通りです。 「神が私たちの上に救い主イエスキリストを通して豊かに注いで下さった、 聖霊による新生と更新の洗いを通して、 私たちは同じ恵みによって義とされ、 永遠の命という希望によって相続人となったのです。 これは信じることができる言葉です」(結城浩訳 『ルターの小教理問答書』より)
今回取り上げる部分は前回の部分と密接に結びついておりまして、問いにあります「そのようなすばらしいこと」とは、前回取り上げた「洗礼によって罪が赦され、死と悪魔からあがない出され、 信じるものすべてに永遠の救いが与えられること」を指しています。
この部分では、水が神の御言葉と共にある時に初めて、「洗礼となり、恵みに満ちた命の水、聖霊による新生の洗いとなる」と述べられています。やはり、「洗」礼という名の通り、洗礼が「新生の洗いである」という定義とともに、「命の水」であるという側面も大事な要素です。
これらの次第を裏付けるために、ルターはテトスへの手紙3章(節)の御言葉を引用します。あまり読まれない短い書であるかもしれませんが、洗礼について重要なことを伝える箇所ですので、心に留めておきましょう。ここには、洗礼が洗いである、ということだけでなく、恵みによって義とされること、神の国の相続人となることが述べられており、それだけ洗礼が豊かな恵みを持つものであることが示されています。私たちが受け止めきれないほどの大きな恵みかもしれませんが、私たちがそれを理解するかどうかにかかわらず、神様はその恵みを私たちに与えてくださいますから、感謝です。
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