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執筆者の写真明裕 橘内

とってもやさしいルターの小教理問答書講座 第23回

【主の祈り 六番目の願い】

われらを試みにあわせず、

〔 私たちを誘惑にあわせないでください。 〕

[問い]  これはどういう意味ですか。

[答え]  もちろん、神様は誰も誘惑したりはしません。 でも、私たちはこの願いを通して、 神様が私たちを守り、救ってくださるようにと祈るのです。 そして、悪魔・この世・私たちの肉の欲が、 私たちを欺いたり、異教や異端・絶望・他の恐ろしい不品行・悪徳へ誘い込んだりすることのないように。 また、たとえそれらが私たちを攻撃してきても、 私たちはそれらに打ち勝ち、最後には勝利するようにと祈るのです。

(結城浩訳 『ルターの小教理問答書』より)


この度の震災に際し、心よりお見舞い申し上げます。


私たちを不安に陥れるような出来事が連続した年明けとなっております。まさに、「私たちを誘惑にあわせないでください」と切に祈らなければならないような状況です。


ルターは小教理のこの部分で、私たちを誘惑するものの筆頭として「悪魔」を挙げています。私たちは、まず自分たちの弱さ・・・「私たちの肉の欲」を思い浮かべるか、あるいは様々な困難なことを突き付けてくる「この世」ぐらいしか思い付かないかもしれませんが、ルターはそれらの背後に、「悪魔」という存在があることを見抜いていて、それを私たちに知らせようとしています。


悪魔は私たちに何をしようとしているかと言うと、「絶望」へと誘い込もうとしている、とルターは指摘します。これも意外な盲点で、私たちを「不品行」や「悪徳」に誘い込むというのは割とわかりやすい誘惑ですが、私たちが絶望するように誘惑しているとは、なかなか気づかないことではないでしょうか。私たちはそれが悪魔の誘惑だと気づかずに、普段いとも簡単に、「もうダメだ」「もう無理」と軽い絶望に陥っているものです。それらのちょっとした絶望は、やがて積もり積もって、私たちをもう立ち上がることのできないような、深刻な絶望へと突き落とします。そうならないためにも、この2024年、常に私たちは神様に頼り、「私たちを誘惑にあわせないでください」と祈っていくのです。

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