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執筆者の写真明裕 橘内

とってもやさしいルターの小教理問答書講座 第22回

【主の祈り 五番目の願い】

われらに罪をおかすものを、われらがゆるすごとく、 われらの罪をもゆるしたまえ。

〔 私たちに対して罪をおかした人を私たちはゆるしますから、 あなたも私たちの罪をゆるしてくださいますように。 〕

[問い] これはどういう意味ですか。

[答え] 私たちはこの願いを通して、 天にいらっしゃる私たちの父なる神様が私たちの罪に目を留めたりなさらず、 また私たちが罪深いからとか私たちが祈り求めるものにふさわしくないからということを理由にして、 私たちの願いを退けたりしないようにと祈るのです。 しかし神様は私たちに、そのすべてのものを恵みによって与えたいと思っています。 毎日何度も私たちは罪を犯し、刑罰を受けるのが当然の身でありながら、神様はそうしてくださるのです。 だから、私たちも当然のこととして、私たちに罪をおかす人々に心から喜んで良いことをしたいと願うのです。

(結城浩訳 『ルターの小教理問答書』より)


主の祈りは「何のための祈りか」ということを、お考えになられたことがあるでしょうか。いろいろな考え方があるかと思いますが、私は「罪の赦しを求めるための祈り」であると思っています。


この主の祈りを祈る印象的なシーンがあります。それは、「聖餐式」と呼ばれる時です。御影ルーテル教会では、聖餐式の中で主の祈りを祈ります。聖餐式はイエス様から罪の赦しの恵みをいただく時ですが、その礼典の中で謙虚に罪の赦しを求める祈りをするのは、まことにふさわしいことだと思っております。


この第五の祈りは、どうしても「私が誰かを赦す」ということに目が行きがちで、そのために重荷に感じられることもあるかと思うのですが、もともとは、神様があわれみをもって、私たちの罪を赦してくださり、願いを聞いてくださることを約束する祈りです。「あの人が赦せない」とつい思ってしまう私も、赦されるのです。そして、赦されるからこそ、願いが聞かれるのです。そのことに感謝して、安心して主の祈りを祈り続けたいものです。




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