【主の祈り 四番目の願い】
われらの日用(にちよう)の糧(かて)を今日もあたえたまえ。
〔 私たちに毎日の糧を今日も与えてください。 〕
[問い] これはどういう意味ですか。
[答え] もちろん、私たちが祈らなくても、 神様は、悪い人間たちに対しても日々の糧をお与えになります。 けれども、この願いを通して、 日々の糧を神様が与えてくださることを意識し、 感謝をもって日々の糧を受け取れるようにと私たちは祈るのです。
[問い] 「日用の糧」とはどういう意味ですか。
[答え] 私たちのからだを養い、 必要を満たしてくれるすべてのもののことです。 例えば、食べ物、飲み物、着る物、靴、家、庭、土地、家畜、 金銭、所有物、献身的な配偶者、献身的な子供たち、献身的な雇い人、献身的で信仰深い施政者、 よい政府、よい天気、平和、 健康、学問、名誉、よい友人、信仰深い隣人、 そしてこれに類する他の全てのもののことです。
(結城浩訳 『ルターの小教理問答書』より)
「日用の糧」という言葉で、私たちは何をイメージするでしょうか。
ルターは非常に想像たくましく、
「例えば、食べ物、飲み物、着る物、靴、家、庭、土地、家畜、 金銭、所有物、献身的な配偶者、献身的な子供たち、献身的な雇い人、献身的で信仰深い施政者、 よい政府、よい天気、平和、 健康、学問、名誉、よい友人、信仰深い隣人、 そしてこれに類する他の全てのもの」
と、具体的に例示しています。「よい天気」までそこに入っているのが興味深いところですね。異常気象の続く昨今、私たちにとってなくてはならないものとなっています。また、「平和」が入っているのは、現在ウクライナとロシアの間で戦火が絶えず、またイスラエルとパレスチナの間も悲惨な戦争状態になってしまっているからこそ、これがまさに日々与えられるものとして、私たちのもとに実現することを切望するものです。
しかも、これらのものを神様は、「私たちが祈らなくても」、悪い人間に対してでも与えてくださる、というのがまさに良い知らせです。これらは神さま主導の、まさに一方的な恵みとして与えられるものですから、そこに何か、私たちが貢献するような要素はないのです。
とは言うものの、私たちは絶えず主の祈りを祈ります。「われらの日用の糧を今日もあたえたまえ」と祈りながら、実際は、神様が絶えず与えてくださることを信じ、感謝をささげているのです。そのことを意識したいものです。
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