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執筆者の写真明裕 橘内

とってもやさしいルターの小教理問答書講座 第11回目

【第九の戒め】

隣人の家を欲しがってはなりません。

[問い] これはどういう意味ですか。

[答え] 私たちは神を畏れ、愛さなければなりません。 ですから、私たちは隣人をだまして遺産や家を奪おうとしたり、 自分に権利があるような振る舞いをして奪い取ろうとしたりしてはなりません。 そうではなくて、隣人が財産を保ち、さらに増し加えられるように手助けをすべきです。(結城浩訳 ルターの小教理問答書より)


「ほりがりません、勝つまでは」という標語が掲げられていたのは、

今からずいぶん昔、戦時中のことでした。


もうそのような時代ではないから、

自由気ままに欲しがっていいわけではなく、

ルターも十戒の

「欲しがってはなりません」

という言葉に解説を加えています。


ルターは「隣人の家を欲しがる」を

「奪い取る」ことだと受け取りました。

「隣人をだまして遺産や家を奪おうとしたり、

自分に権利があるような振る舞いをして奪い取ろうとしたりしてはなりません」

と教えています。


ところが、それで終わらないのがルターの特徴で、

「ではどうするのか」

というところまで語っているのです。

「隣人が財産を保ち、さらに増し加えられるように手助けをす」ること。

ここまでしてはじめて、

この律法を守ったことになるのだ、

と考えたわけです。


では、ルターは人と人とが助け合う理想の社会を目指していただけかと言うと、

そうでもないかもしれません。

律法を使ってまで自分の存在意義を確かめようとする人間の影の部分を、

ルターはよく知っていました。

隣人を手助けしたいと思いながらも、

なかなか純粋にはそのようにできない、

むしろ自己欺瞞のパフォーマンスのようにしてしまう、

そのような人間を救うために、

イエス様が来られたことを深く感謝していたのがルターでした。

戒めを学びながら、

その通りに生きることのできない私たちが救いにあずかる希望を抱くことができれば、

何よりの幸いです。


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