【第八の戒め】
隣人について、嘘をついてはいけません。
[問い] これはどういう意味ですか。
[答え] 私たちは神を畏れ、愛さなければなりません。 ですから、私たちは嘘をついたり、裏切ったり、 名誉を毀損したり、隣人の評判を落としたりして欺いてはなりません。 そうではなくて、むしろ隣人について弁護し、隣人に関して良いことを言い、 隣人がなすことの良い面を見るようにしなければなりません。(結城浩訳 ルターの小教理問答書より)
嘘をつかないで生きることができたら、
どんなに幸いか。そう思うことがあります。
決して悪意から出る嘘ばかりではないのです。
相手を失望させないために、
少し多めに言ったりすることもあるのです。
落胆させまいと、過剰にほめることもないわけではありません。
子は親に、親は子に、心配させまいと、
本当のことを言わないこともあるでしょう。
もちろん、故意につく嘘もないわけではない。
そう考えると、噓をついたことがない人など、
いないのではないでしょうか。
それに加え、
裏切ること、名誉を傷つけること、
隣人の評判を落とすことなども加えたら、
なおのことです。
これから先のことを考えても、
「これから先、嘘のない、
まっとうな人生を歩んでいきます」
と誓いたいのはやまやまなのですが、
そこがなかなかうまくいかない。
「嘘をつきません」と言うこと自体が嘘になってしまう。
そのような現実があるわけです。
そのような中で、ルターが
1)隣人について弁護し、
2)隣人に関して良いことを言い、
3)隣人がなすことの良い面を見る
という、この戒めの積極的な側面を紹介していることは、
本当に助けになります。
この戒めに取り組んでいくための指針となります。
このように縦に並べるとよくわかるのですが、
どれも「隣人」について述べていますね。
戒めは、「隣人について」、嘘をつかないように、
ともともと教えているのであり、
そこからも、私たちの持つ「関係性」に着目したいですね。
「つながり」を求める私たち。
コロナが出てから、容易に人と人とのつながりが分断されてしまうことを、
私たちは嫌と言うほど経験してきました。
であればなおのこと、嘘でつながりが絶たれることは避けたいですね。
「嘘をつかないようにしよう」と自らを追い込むのではなく、
「関係性を大事にしよう」「人と人とのつながりをたいせつにしよう」
というところからこの戒めにアプローチしていくと、
また違ったものが見えてくるのではないでしょうか。
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