top of page

「新約聖書の学び」第10回 マタイによる福音書11章

  • 執筆者の写真: 明裕 橘内
    明裕 橘内
  • 2 日前
  • 読了時間: 5分

今回は、今年5月17日に開催された第10回の「新約聖書の学び」の内容をご紹介します。担当は橘内玲子牧師です。


【マタイによる福音書10章を振り返って】

マタイによる福音書10章では、イエス様は十二使徒を選び、イスラエルの人々のところに派遣された。「天の国は近づいた」と宣べ伝えなさい(7節)、病人をいやし、死者を生き返らせなさいと言われた。たとえ捕らえられたとしても、父なる神の霊が語ってくださる(20節)。困難はあるが、最後まで耐え忍ぶ者は救われる(22節)と指図を与えられた。最後に、「イエス様の弟子だという理由で、水一杯でも飲ませてくれる人は祝福を受ける」と言われ、送り出された。

また、イエス様も、方々の町々で教え、宣教された(11章1節)。


【マタイによる福音書11章】

洗礼者ヨハネとイエス(2~19節)

・洗礼者ヨハネ

祭司ザカリアと妻エリサベツの老年に生まれ、出生前に、以下のように預言されていた。

【ルカによる福音書 1章 15~17節

彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。

彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」】

その後、ユダヤの荒野で育った(ルカ1章)。

「悔い改めよ。天の国は近づいた」と宣べ伝え、ヨルダン川で人々に洗礼を授けた。

罪の赦しを得させるための悔い改めの洗礼を宣べ伝えた(ルカ3章3節)。

そこで、イエス様も洗礼を受けられた。

その後、ヘロデ王はヨハネを捕らえて、牢(ろう)に入れたので(マルコ6章14節~29節)、ヨハネは弟子たちを送って、イエス様が待ち望んでいた救い主であるのかを、確認をしようとした。ヨハネが期待したのは悪人をさばく方であったので、確信が揺らいだのかもしれない。

イエス様は、以下を引用し、答えられた。

【イザヤ書 35章 4~6節

心おののく人々に言え。「雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。敵を打ち、悪に報いる神が来られる。神は来て、あなたたちを救われる。」

そのとき、見えない人の目が開き/聞こえない人の耳が開く。

そのとき/歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。荒れ野に水が湧きいで/荒れ地に川が流れる。】

【イザヤ書 61章 1節

主はわたしに油を注ぎ/主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして/貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み/捕らわれ人には自由を/つながれている人には解放を告知させるために。】

ヨハネでさえ、確信が揺らぐこともあるので、イエス様は言われた。「わたしにつまずかない人は幸いです」(6節)。イエス様がキリスト、救い主であることを受け入れる人は幸いであるという意味。神様のご計画と自分の願いが一致しない状況もあるが、聖書を通して、神様のご計画を尋ね求めることが信仰生活において大切であると考えられる。


・ヨハネの弟子たちが帰った後(7節)、ヨハネが先駆者であり(10節)、最も偉大なものである(11節)と語られた。しかし、試練があることも、イエス様は理解されていた(12節)。

・10節は、以下の引用

【マラキ書 3章 1節

見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は/突如、その聖所に来られる。あなたたちが喜びとしている契約の使者/見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。】

・すべての預言者と律法(13節)は、旧約聖書全体を表している。ヨハネと旧約聖書の関連性が示されている。

・エリヤ(14節)は、イエス様が誕生する800年以上も前のイスラエルの預言者。エリヤが再臨して、裁きの日またキリストの到来の準備をすると期待している人々もいた。ヨハネがそのエリヤであることを理解しなさいと言われた(15節)。

・ヨハネに対する不満として、結婚式ごっごをしても葬式ごっこをしても喜んでくれないと、快楽を優先しないヨハネを「悪霊に取りつかれている」と批判した(16~18節)。

・イエス様に対する不満として、宴会に出て、大酒飲みで、徴税人や罪人の仲間だと批判した(19節)。預言者の言葉に聞き従おうとするよりも、預言者を批判をしようとする人々がいたことが示されている。

・「知恵の正しさは、その働きによって証明される」(19節)

ヨハネが悔い改めの預言者として送られたこと、また、イエス様が罪人の仲間として来られたことは、神の知恵によるものである。「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人々には福音が告げ知らされている」(5節)と書かれている具体的な働きによって証明されている。


悔い改めない町を叱る(20~24節)     

・コラジン、ベトサイダはユダヤ人の町であった。ティルスやシドンはフェニキア人(異邦人)の町であった。ユダヤ人はイエス様の言葉に従わなかったので、異邦人の方が神様に立ち帰る心があると、イエス様は言われた。(20~22節)

・カファルナウムはイエス様の宣教の本拠地であったが、通商の要所であったので、繫栄して大都市となったので、ソドムのように自らを天に上げるような高慢な思いになってしまった。ソドムは不道徳の町であったので、ゴモラと共に硫黄の火で滅ぼされた(創世記18~19章)。


わたしのもとに来なさい(25~30節)

・天地の主である神様が父であり(25節)、神様がイエス様に任せておられる(27節)。

・ユダヤ教の律法主義に疲れている人々に、イエス様のところに来るように招かれた。

罪の重荷や人生の思い煩いなどに苦しむ人々に、休ませてあげよう(28節)と語られた。

・軛(くびき)は、牛や馬など家畜が鋤(すき)や四輪車を引けるように、首にかけられた木製の棒や枠のこと。軛(くびき)は服従やつらい仕事を象徴する。

・イエス様のもとへ行くことによって、まず休息を与えてくださる。

そして、イエス様から、学ぶことによって、神様からの平安が与えられる(28~29節)。

これからも、聖書から、イエス様を学ぶことを積み重ねていきたいものです。


【感想】

・偉大なヨハネでも揺らぐという話を聞いて、自分の望みではなく神様のことを信頼して歩んでいくことが難しいけれど大切だと思った。

・今の環境に対して高慢にならず、今の姿が神様に喜ばれる姿なのかを時々振り返りながら生活することも必要なんだと感じた。


 
 
 

コメント


御影ルーテル教会

658-0047 神戸市東灘区御影3-10-5

tel: 0788420446

©2022 by 御影ルーテル教会  Wix.com で作成されました。

bottom of page