2025年7月20日 聖霊降臨後第六主日
- 明裕 橘内
- 7月20日
- 読了時間: 3分
聖書交読 哀歌3章19~24節(旧約p1289)
司)3:19 苦汁と欠乏の中で/貧しくさすらったときのことを
会)3:20 決して忘れず、覚えているからこそ/わたしの魂は沈み込んでいても
司)3:21 再び心を励まし、なお待ち望む。
会)3:22 主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。
司)3:23 それは朝ごとに新たになる。「あなたの真実はそれほど深い。
全)3:24 主こそわたしの受ける分」とわたしの魂は言い/わたしは主を待ち望む。
聖書朗読 一ペトロ3章15~16節(新約p432)
3:15 心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。
3:16 それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。そうすれば、キリストに結ばれたあなたがたの善い生活をののしる者たちは、悪口を言ったことで恥じ入るようになるのです。
※本日は、馬渕主事の説教です。説教の要約を掲載します。
説教 「キリスト教の信じ方・伝え方」
今回の説教のテーマは、伝道・宣教です。そんなときに、よく引用されるのが、聖書では「大宣教命令」ともいわれるマタイによる福音書の最後にあるみ言葉です。「イエスは近寄ってきて言われた。『わたしは天と地の一切の権能をさずかっている。だから、あなたがたは言って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。』」といういわゆる「大宣教命令」です。でも、皆さんは、この聖句が読まれるとき、どのような気持ちで、それを受けとめられてきたでしょうか。「あー。それが大切なことはその通りだろう。でも、いつもそのように生きられるかとなると、なかなか難しい。いや、それは結構たいへんなことであり、時にはしんどい思いになることもある」と思われたことはありませんか。
少し異なった視点から、このことを考えてみましょう。私たちが伝えたいのは、福音の魅力、その素晴らしさのはずなのです。それが大変すばらしいから、伝えたい、というのが、宣教や伝道の原点です。しかし、こうも考えられます。福音の魅力、聖書の中で幾度も人々がナザレのイエスに惹かれた理由は、イエス様が彼らの人生を変えることができるということに人々が気付いたからだという様子が描き出されています。宣教するときに、説明や議論も大切ですが、そこには限界もあるのです。今日キリスト教に惹かれている人の多くは、キリスト教が自分の人生を変えることができると信じているので、キリスト教に惹かれているのです。その人たちが判断の基準にしているのは、「これは真実か?」ということよりも「これでうまくいくのか?」ということなのです。どうでしょうか。ここで言われているのは、真理と信仰との相違です。真理は尊いものですが、私たちが惹かれるのは、真理だからというよりも、それが救ってくれるかという事実なのです。このことを、改めて心に刻んでおきたいと願わされます。
報告
・本日は、馬渕主事の説教でした。橘内師は三田フェローシップキリスト教会でのご奉仕です。午後は1時から、玲子牧師が担当の新約聖書の学びがあります。

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