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2025年4月6日 四旬節第五主日

  • 執筆者の写真: 明裕 橘内
    明裕 橘内
  • 11 時間前
  • 読了時間: 13分

聖書交読 イザヤ43章16~21節(旧約p1131)

司) 43:16 主はこう言われる。海の中に道を通し/恐るべき水の中に通路を開かれた方

会) 43:17 戦車や馬、強大な軍隊を共に引き出し/彼らを倒して再び立つことを許さず/灯心のように消え去らせた方。

司) 43:18 初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。

会) 43:19 見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き/砂漠に大河を流れさせる。

司) 43:20 野の獣、山犬や駝鳥もわたしをあがめる。荒れ野に水を、砂漠に大河を流れさせ/わたしの選んだ民に水を飲ませるからだ。

全) 43:21 わたしはこの民をわたしのために造った。彼らはわたしの栄誉を語らねばならない。


聖書朗読 ヨハネ12章1~8節(新約p191)

 12:1 過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。

 12:2 イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。

 12:3 そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。

 12:4 弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。

 12:5 「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」

 12:6 彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。

 12:7 イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。

 12:8 貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」


説教 「居場所のない救い主」


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、

恵みと平安があなたがたにありますように。アーメン


皆さん、おはようございます。四旬節も第五主日を迎えました。もう来週は受難主日です。今朝は、イエス様がベタニアで香油を注がれる場面を開いております。ここから神様が今日、何を語ろうとしておられるか、一緒に探ってまいりましょう。


時はユダヤ人にとって重要な過越祭の六日前。イエス様は、ベタニアに行かれました。過越祭が受難週、すなわちイエス様が十字架にかかられる週の木曜日の日没から始まったとすると、イエス様がベタニアに到着されたのは、その前の週の金曜日の日没後、安息日に入ってから、ということになります。過越祭とは、一言で言えば、かつてイスラエル人が、エジプトで強制労働に駆り立てられていたところから、神様の偉大なる御手の業によって脱出させていただいた、あの出エジプトの奇跡を記念する祭りでした。時期は、イースターと同じで毎年変わりますが、今年は4月12日から20日までです。


ベタニアはエルサレムの東約3キロにある小さな村で、オリーブ山の斜面にありました。そこには、ラザロがいました。「イエスが死者の中からよみがえらせたラザロ」と言われています。このラザロのよみがえりの奇跡は、このヨハネによる福音書の11章に描かれています。


ベタニアは、遠くユダヤの村ではありますが、私たちにも関係があります。かつて園田地区礼拝が東園田の地区会館で行われていた頃がありました。その際、公的な場所で礼拝をするために、「ベタニヤ会」という名前を付けていました。その命名の由来が、エルサレムの東にある、ということでした。園田地区は御影の東にあるということで、「ベタニヤ会」と名づけられたと伺っています。その、園田地区礼拝が、現在の園田伝道所礼拝につながっているのです。


また、「ラザロ」という名前も、私たちにとって重要です。「ラザロ」という名前は、旧約聖書の名前で言うと「エルアザル」に当たります。そして、その意味は、「神は助ける」という意味なのです。信仰生活を送る私たちにとって、この神様の助けはなくてはならないものです。園田伝道所も、神様の助けによって昨年、奇跡的に会堂が与えられ、今神様の助けのもとに、開所式の準備をしています。私たちも、今四旬節を過ごしていますが、悔い改めの心を持ち、静かに過ごすと言っても、神様の助けなしには、それができないのです。心静かに、と言っても、ちょっとしたことで心ざわつかせ、平安を失ってしまう。そのようなことが起こりうるのです。神様の助けなしには、変化の激しいこの世界において、米やガソリンをはじめとする物価高が収まらない中で、落ち着いて過ごすことなどできません。この四旬節、私たちはラザロの名前を思い起こし、神様の助けを求めるのです。


イエス様がベタニアに入られると、イエス様のために夕食が用意されました。マルタはマルタらしく、給仕をしています。彼女のことは、ルカによる福音書10章のエピソードによりご存じのことでしょう。マルタはイエス様をおもてなしするのに忙しく、姉妹のマリアはイエス様の足もとでイエス様のお話に聞き入っていました。この福音書の11章によると、この2人に加えてラザロがきょうだいでした。彼らは一緒にベタニアに住んでいて、彼らの家でこの夕食が用意された、とも言われています。


「マルタはマルタらしく」と申し上げました。彼女が変わらず、イエス様をもてなす夕食のために給仕している姿にホッとします。かつてイエス様は彼女に、ルカによる福音書によると、こうおっしゃっておられます。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」(ルカ10:41~42)。これは決して、足もとで御言葉を聴くマリアが正しく、忙しく立ち働いているマルタが間違っている、という意味ではありませんでした。どちらがいい悪いの話ではなく、それぞれが自分に賜物として与えられていることを行うのが大事なのであって、姉妹だからと言ってそれを取り上げることはできない、ということだったのです。そのことをマルタは正しく理解し、ここで、給仕することが自分の賜物であるとして、喜んで主に仕えていたのです。


このところでは、マリアは登場せず、代わりにラザロがそこにいました。そして、「ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた」とあるように、彼は特に何もせず、そこにいたのです。彼は、姉妹のマルタが給仕しているからと言って、自分もしなければならない、と焦燥感に駆り立てられることはありませんでした。マルタはマルタ、自分は自分、ということで、静かにそこにいたのです。よみがえらされたとは言え、体が弱かったのかもしれません。それでも、ただ黙ってそこにいる、ということは、言うほど簡単なことではありません。あの人が忙しく立ち働いているのだから、私もそうしなければならない。少なくとも、しようとしているそぶりは見せなければならない。そのように思ってしまうものです。今更doingとbeingの違いの話もないと思いますが、beingの方、すなわち、「そこにいる」ということを大切にできるのは、自分もまた周りも、成熟した姿でありましょう。自分も、一人静かにそこにいる、ということに平安を覚え、また、周りも、そのような姿を見て受け入れる。教会が、そのような共同体であったら幸いです。


そもそも、そこにいること、よりも、何かすることの方がよい、という価値観になったのはいつからのことなのでしょう。そこにいる、存在する、ということは、実はたいへん価値があることなのです。私たちはこれから備えられている聖餐式の恵みにあずかりますが、その中では、「これはあなたのための主イエス・キリストのまことのからだです」「これはあなたの罪のために流された、主イエス・キリストのまことの血です」と言われて、パンとぶどう酒の形で、イエス様のおからだと血とが分け与えられます。そこに、主イエス様ご自身がおられる。特にそこでイエス様が何かをなさる、ということではないけれども、私たちはここに、この礼典の中にイエス様がおられる、そのことに触れて感動するのです。


次の3節で、マリアが登場します。しかし、その姿は、イエス様の足もとで御言葉に聞き入っていた無邪気な姿とは大きく異なっています。何か真剣な、深刻な雰囲気。大事な大事な香油の壺を持って、イエス様のもとに現れます。ナルドの香油は、標高3000メートルから5000メートルに生えているオミナエシ科の植物の根から取れると言われます。これがパレスチナまで運ばれるので、ますます高価になりました。もともとこの香油は、マリアのお母さんが娘のためにと用意したものと思われますが、そのようにたいへん高価でしたので、手に入れるのはそう簡単ではなかったことでしょう。


そのような貴重な香油が、一リトラありました。これは、約300グラム程度だと言われます。量はわずかだったかもしれませんが、その香りはイエス様がおられた家をいっぱいに満たした、と書かれています。この時マリアがこの貴重な香り高い香油をイエス様にささげたのは、イエス様がきょうだいラザロを死からよみがえらせてくださったからでした。そのことに感謝して、マリアは高価な香油をイエス様にささげたのです。あたかも彼女の感謝の心がその家に広がったかのようでした。


他の福音書を見ますと、マタイによる福音書では、その26章において、場所は同じベタニア、イエス様が重い皮膚病の人シモンの家におられたとき、「一人の女」が香油の入った石膏の壺を持ってきた、とされています。そして、その香油は、イエス様の頭に注ぎかけられました。その場合は、イエス様が油注がれたメシアである、ということを暗示する側面が強いと思われます。マルコの福音書でも、14章で、ほぼ同じように描かれています。


ここで少し「香油」のことを考えますと、そのかぐわしい香りは、標高の高い、厳しい環境で育った植物から生まれたことがわかります。私たちは、この世にあって、キリストのよい香りである、と言われます。コリントの信徒への手紙二2章15節において、「わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです」と言われている通りです。では、どうやったら私たちは、そのようなかぐわしい香りを放つようになるのか。それは、ナルドの香油と同じように、厳しい環境に置かれることを通してなのです。なぜ私が、信じているのにこんな厳しいところを通らされるのか。もしそのように疑問に感じられることがあったら、それは、あなたを通して、キリストの良い香りを漂わせようとする、神様の御心であるのです。


イエス様への感謝の思いで高価な香油をおささげしたマリアでしたが、その行為は周囲の人々に理解されなかったようです。イスカリオテのユダは、「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか」(5節)と、公然と彼女を非難しました。


しかし、そもそもイスカリオテのユダに関しては、「後にイエスを裏切るイスカリオテのユダ」と説明がされています。この部分、新改訳2017では、「イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダ」と訳されています。いずれにしても、たいへん怪しい存在です。ちなみに、この「イスカリオテ」ですが、もともと合成語でありまして、「カリオテの人」という意味です。カリオテは、ユダヤの南の方の町であったと言われます。カリオテの出身の人であるユダ、という意味になります。


彼は、マリアがイエス様にささげた香油の価値を、三百デナリオンであると換算しました。ご存じのように、1デナリオンで、当時のパレスチナの労働者の一日の日給に相当する、と言われます。そうしますと、三百デナリオンと言うのですから、ほぼ年収に等しかった、ということになります。しかし、これは本当にそれだけの値段であったのか、疑問も呈されています。と言いますのも、これは6節で明らかになりますが、ユダが「盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたから」であって、香油を三百デナリオンで売れば、ごまかしていたものの穴埋めができる、ということだったかもしれないからです。ただ、それにしては額が大きいですし、そもそも、別の福音書では、香油をささげた者に対する非難は、マタイでは弟子たち、マルコでは「そこにいた人の何人か」がしたことになっているので、三百デナリオンが損失の穴埋めのための額だったのかどうかは明らかではありません。もしかして本当に、この香油が、一人の労働者の年収分の価値があったのかもしれません。


香油をささげたマリアを非難したのが誰であったにせよ、イエス様は彼女に寄り添い、「わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから」(7節)と優しく理解を示します。マリアはこの時、「これはイエス様の葬りの日のためのものだ」とまで理解していなかったかもしれません。しかし、イエス様はその行為を、ご自分の葬りの日のためのものだと解釈してくださったわけです。


マリアはラザロをよみがえらせてくださったイエス様に感謝して、高価な香油をささげました。それをイエス様は、ご自分の葬りの日のための備えであると解釈して、受け取ってくださいました。この感謝のささげものは、イエス様が私たちのすべての罪を背負って十字架で命を捨てることのための、重要な備えへと発展していったのです。


イエス様はここでマリアをかばい、「この人のするままにさせておきなさい」と言ってくださいました。これは、「行くままにする」「許可する」「赦す」といった言葉の命令形です。許可してあげなさい、赦してあげなさい、という、何とも優しいイエス様の言葉です。イエス様は私たちをかばってくださり、優しい言葉をかけてくださるのです。


それは、イエス様がご自分の死を意識しておられるからです。イエス様は、「わたしの葬りの日」とおっしゃって、十字架での身代わりの死を意識しておられました。それは私たち一人ひとりのためでした。そこまで私たちのことを大事に思っておられたからこそ、「赦してやりなさい」という言葉が生まれたのです。


そしてさらに、「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない」(8節)と述べられます。イエス様のためにいつも居場所があったら、このようにおっしゃることもなかったのかもしれません。イエス様のお誕生に際しては、「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」(ルカ2章7節)と言われ、大人になられてからは、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」(マタイ8章20節)と、イエス様に居場所がなかったことが明らかにされています。居場所がないのは寂しいことですが、天からの存在として、だからこそ、人間を救うことができた、とも言うことができます。地上に居場所のなかった救い主が私たちを救い、天に私たちの居場所を作ってくださったのです。イエス様は同じヨハネによる福音書の14章2節で、「わたしの父の家には住む所がたくさんある」と約束しておられます。


説教の後、讃美歌124番を歌うことになっています。聖歌では146番で、クリスマスの賛美となっています。なぜ今日これを歌うのかと言いますと、まさに居場所のなかった救い主について、歌っているからです。特に3節の歌詞は、先ほどご紹介したマタイ8章20節の「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」という御言葉に基づいています。このような歌詞です。


「きつねにも穴はあり、鳥に巣はあれど、ひとの子は地のうえに ねむりたまいけり。」


では、地の上に居場所のなかったイエス様は、どこに居場所があるのか。それは、続く歌詞に答えがあります。


「住みたまえ、きみよ、ここに、この胸に」


この、地上に居場所がなかったけれども、それによって私たちを救ってくださり、天に私たちの居場所を作ってくださった救い主イエス様を、心にお迎えするのです。そこがイエス様の居場所となるのです。


お祈りします。

天の父なる神様。今朝も共に御言葉を聴く機会をありがとうございます。救い主イエス様には、この地上に居場所がありませんでした。しかしそれによって、却ってイエス様は私たちのために、天に居場所を用意してくださいました。私たちをその十字架によって救ってくださり、感謝します。このイエス様を心にお迎えして、この四旬節の毎日を大事に過ごせますよう、導いてください。試練と苦難の中を通っておられる方々には、それを通して、かぐわしいキリストの香りを漂わせるようになるのだということをあなたが優しく教えてください。尊い救い主、イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン


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・イースター献金をおささげいたしましょう。本日は、礼拝後昼食会があります。




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